教皇フランシスコ 正午の祈り 「遺産をわける」 | 教皇庁立国際マリアン・アカデミーPAMI マリア論オンライン講座☆日本語

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聖母の騎士 Sr. 岡 立子による
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教皇フランシスコ 正午の祈り

(2022年7月31日:年間第18主日)

主日の福音:ルカ12・13-21

 

***

兄弟姉妹のみなさん、こんにちは!

今日の典礼の福音の中で、ある人がイエスに言います、

「先生、遺産をわたしと分けるよう、兄弟におっしゃってください」(ルカ12・13)。

 

これは非常によくある状況で、同じような問題は今でもあります。

どんなに多くの兄弟姉妹たち、同じ家族のメンバーたちが

遺産が原因でけんかをしたり、口をきかなくなったりするでしょうか!

 

イエスは、この人に答えながら、詳細に入ることなく、

ものの所有がもたらす分裂の根源に行き、明確に言われます、

「貪欲に気をつけ、用心しなさい」(15節)。

 

貪欲cupidigia)とは何でしょうか。

それは、抑制できない所有欲、つねに豊かになりたいという望みです。

それは、人を滅ぼす病気です。

なぜなら所有の渇望は依存を生み出すからです。

特に、たくさん持っている人は、決して満足しません。

つねにより多くを求めます。そして、自分のためだけに。

 

しかしこのようにして、その人はもはや自由ではありません。

自由で平安に生きるために役立つはずのものに、

逆説的に、執着し、奴隷となります。

お金を使うservirsi )のではなく、

お金のservo)(お金に仕える者)となります。

                                                                                  

しかし、貪欲は社会にとっても危険な病気です。

それが原因で、私たちは今日、もう一つの逆説に至っています。

少しの人が多くを持ち、多くの人がほとんどあるいは何も持たないという

歴史上かつてない不公平に至っているのです。

 

戦争や紛争を考えてみても、

ほとんどつねに、そこには資源や富への欲望があります。

戦争の裏に、どれだけの利害があるでしょうか!

その一つが武器取引であることは間違いありません。

この取引は、私たちがしてはならない、そしてあきらめることは出来ない

スキャンダルです。

 

***

イエスは今日、このことすべての中心には、

何人かの権力者や、ある種の経済システムがあるだけでないことを

私たちに教えています。

その中心には、一人ひとりの心の中の貪欲があります。

 

ですから、自問してみましょう。

私の、財産(所有物)、富からの離脱はどうでしょうか。

私は、自分に足りないものを嘆いているでしょうか、

それとも、持っているもので満足しているでしょうか。

私は、お金やチャンスのために、

関係を犠牲にしたり、

他の人のための時間を犠牲にする誘惑にかられているでしょうか。

 

さらに、私は貪欲の祭壇に、合法性と誠実さを犠牲にすることがあるでしょうか。

私は「祭壇」と言いました。なぜでしょうか。

なぜなら、物質的な財産、お金、富は、

崇拝、真の偶像崇拝になりうるからです。

 

ですからイエスは、強い言葉で私たちに警告しています。

二人の主人に兼ね仕えることはできない、と。

気をつけてください、イエスが言っているのは、

神と悪魔、または善と悪ではありません。

そうではなく、神と富です(ルカ16・13参照)。

 

私たちは、イエスに期待しているかもしれません。

二人の主人に兼ね仕えることは出来ない、

神と悪魔に仕えることは出来ない、と言われるのを。

 

それに反してイエスは、神と富と言われます。

富を使うこと(servirsi)はよい。富に仕えること(servire)はいけません。

それは、偶像崇拝であり、神を侮辱することです。

 

***

それなら、豊かになることを望んではいけないのか、と考えるかもしれません。

もちろん、出来ます。むしろ、それを望むことは正しいことです。

豊かになることは素晴らしいことです。

しかし、神に従って豊かになること。

 

神は、誰よりも豊かな方です。

神は、いつくしみ、憐みに富んでおられます。

神の豊かさは、誰も貧しくすることはありません。

けんかや分裂を生みません。

それは、与え、分配し、共有することを愛する豊かさです。

 

兄弟姉妹のみなさん、

善く生きるためには、物質的財産を蓄積することでは十分ではありません。

なぜなら、イエスが言われるように、

人の命は所有しているもの(財産の多さ)に依るものではないからです(ルカ12・15参照)。

そうではなく、善い関係に依るものです。

神との関係、他の人々との関係、また、少ししか持っていない人との関係。

 

ですから、自問してみましょう。

私は、どのように豊かになりたいと望んでいるのでしょうか。

私は、神に従って豊かになりたいのでしょうか、

または、自分の貪欲に従って豊かになりたいのでしょうか。

 

そして、遺産の問題に戻れば、

私はどんな遺産を継ぎたいと望んでいるのでしょうか。

銀行にあるお金、物質的なものでしょうか、

または、私たちの周りの満ち足りた人々、

忘れられることのない善い行い、

私が、成長し成熟するのを助けた人々でしょうか。

 

***

聖母が、人生の真の財産、永遠に残る財産が何であるのかを

理解するのを助けてくださいますように。