年間第17火曜日:麦の中の毒麦(マタイ13・36-43) | 教皇庁立国際マリアン・アカデミーPAMI マリア論オンライン講座☆日本語

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聖母の騎士 Sr. 岡 立子による
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Tomáš Špidlík枢機卿『毎日の福音』(試訳)

 

年間第17水曜日:麦の中の毒麦(マタイ13・36-43)

 

畑は世界である

すべての宗教、哲学は、悪の源泉についての問題を提起している。最も古代の文学的伝統に遡る寓話は、原初の二元説を宣言している。二つの力、二つの権力、二種類の人間が互いに戦っているが、それらの源泉が何であるかは分からない。しかし楽天主義的に、善がより強く、常に最後には勝利すると述べている。

 

聖書は反対に、二元説を認めない。天と地の創造主である唯一の神だけが存在し、存在するすべてのものは善いものである(創1・4~参照)。悪は、人間から、人間の自由な同意から来た。しかし何への同意か?

 

楽園の中に蛇が入り込んだ。人間の心の中―それは内的楽園である―に、悪い考えの形の下に蛇が来る。

 

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私たちはたくさんのインスピレーションを持つ:神から来るものは善い種であり、悪い考えは妨害するもの、毒麦である。善い麦も毒麦も、私たちの同意をもって、私たちの心の土地に根付くことが出来る。

 

毒麦は悪い者の子らである

悪は、悪い考えとともに心に中に入る。たくさんの考えが私たちに起こるが、すべてが悪いものではなく、多くの考えは善へと導く。それらをどのように見分けるのか?

 

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著作家たちは「霊の識別」について語る。人間が、目に見える現実を超えたもの、つまり善と悪との絶え間ない戦いが行われている超自然的な世界からも影響を受けることが出来るという原則から出発して。

 

エジプトの砂漠の教父たちは、自分たちの経験から得た識別の諸原則を示した。第一に、混乱させたり平和を奪ったりするものは悪い者から来る。神は、霊魂に平和だけを与える。Evagrioは、後に七つの大罪となる、八つの悪い考えのリストを作った。

 

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教父たちの目的は、人間に教えることにある。善と悪を区別し、それらがどこから発生するかに気づくことを。

 

毒麦を蒔いた敵は悪魔である

教父たちは言う。悪い考えは、まさに私たちが最も脆く、屈服しそうなときに、突然やって来る。私たちは絶えず警戒していなければならない。

 

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いわゆるヘシカスト主義(静寂主義)の信奉者たちは、この警戒心について語っている。彼らは、内なる平和が、気を散らさずに祈るための必要条件であると考える。彼らは、比喩的に、私たちの心の扉に、火の剣を持った天使、つまり警戒心の徳を置かなければならないと言う。この天使は、入って来ようとするあらゆる考えやインスピレーションに対して問いかける。「あなたは味方かそれとも敵か」(ヨシュ5・13)。オリゲネスもまた、そのような勧めを与えている。バビロンの子らをまだ小さいうちに殺し(詩137・9参照)、毒麦の種を根付く前に破壊すること。

 

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霊的な警戒の反対は、心を汚すものに対する怠慢である。清い心だけが神を見ることが出来る(マタ5・8参照)。