Sr.ルカの独り言:死者の月に想う
(『カトリックあい』のコラムのために書いたのですが、先日、みなさんの質問の中で、聖人たちへの執り成しの祈りについてのものがあったので、多少、編集して書きました)。
帰天した家族、恩人、友人、直接会ったことはない先人たち…の顔を思い起こしていたら、なが~いリストが出来た。
それが「年を重ねてきた」という意味だろう。
どれだけ多くの人々に支えられ、助けられ、叱咤され、
今、この瞬間まで生かされてきたことか…
深い感謝とともに、
彼らが、あるいは道半ばで、あるいは生涯かかって伝え、証ししてくださった
大切な「宝」を、
今度はわたしが、わたしたちが伝え、証ししていかなければならない、という
責任を感じる。
そうやって、世の初めから今まで、そして世の終わり(完成)のときまで
わたしたちは小さなモザイクの一片として、
唯一の大きなモザイク画――神の夢――を作り続けていくのだろう。
***
なぜ、カトリック教会は聖人たちに祈るの?と
ときどき質問を受ける。
たぶん、この質問じたいが、何か「違う」のかも…
キリストの教会は、その誕生の時から、
罪や弱さを持ちながらも
キリストの恵みに支えられ、「変容」され、生き抜き、
キリストに「似たもの」となった人たちを
信仰の先輩、模範として崇敬してきた。
カトリック教会が…ではなく、
キリストの教会は、そうやって成長してきた。
つまり、カトリック教会とプロテスタント教会が分かれてしまった以前から。
文字通り「教会の礎(いしずえ)」として
使徒たち、信仰を守り通した証人たち、特に殉教者たちの墓の上に
教会を建て、彼らの遺骨を祭壇の中に埋め込んだ。
バチカンの聖ペトロ大聖堂が
キリストがご自分の教会を託した使徒聖ペトロの墓の上に建てられたことは、善く知られている。
近年の発掘調査で
それが事実であったことも確認されている。
東方正教会は、カトリック教会以上に
諸聖人たちの交わりを「生きている」と言えるだろう。
「一人ぼっちでいるキリストなど想像できない」と
東方教会の信徒は言う。
実際、今年の始め訪れたルーマニアで
教会に入るたびに、壁面全体に描かれた聖人たちの絵に圧倒された。
それは、聖堂だけではなく、食堂でも、個人の部屋でも。
(写真はルーマニアの東方正教会の聖堂)
東方教会の兄弟姉妹たちは、
地上の教会と天の教会の交わりを
「実際に」感じながら生きているんだ、と感じたものだ。
***
キリスト教でなくても、
例えばわたしは、
何か難しい問題が起こったとき、
自然に、亡くなった父に話しかけている。
「お父さん、助けてね。わたしがあきらめずに先に進めるよう、守ってね」…と。
また、先日、道半ばに帰天した神父さまに、
わたしはすでに「ご保護」を祈り求めている。
でも、それは、何か複雑な神学議論を考えてではなく
ごく自然に。
そういうことって、ないだろうか?
***
今朝、出張前に、お墓参りに行ってきた。
帰天した先人、兄弟姉妹たちは、
確かにわたしたちを見守り、助けてくださっている、と
わたしは感じている。
今朝の独り言でした。