日本古武道 ②
四国伊予大洲藩 当流(山本流)剣術免許皆伝巻物
江戸時代は武士が、武力によって庶民を支配する時代であり武術を伝授することも、武士による一つの特権であり、その技を磨く稽古を通じて人格の完成をめざすといった芸道の面が加わったものです。江戸時代後期頃に伝承された剣術の肉筆の伝書をご覧ください。江戸時代には盛んだったが、現代では失われつつある文化となっていますが、魅力を感じてもらえるとうれしい。
<武士作法> 近世剣術の一流派 当流(とうりゆう)
①兵訓記巻物
兵訓記とは、武器を取って戦いに従う者に教えをさとす(言い聞かせて分からせる)、技の未熟さや心の未熟さがケガやトラブルの元ともなりかねません。それらを回避するためにも、礼儀を尽くし技や心のコントロールする必要があるのです。事実をありのままに書きつけます。
当流(當流)兵書
流祖(元祖)は山本三夢入道玄常(さんむにゅうどうはるつね)は上州館林の人で、京流、自見流、新陰柳生流、林崎流居合等を学び、これらの刀法諸流を合わせて創案し、鎌倉の鶴岡八幡宮に祈念して心明剣の一刀を開悟し当流(山本流)を称したといわれています。大居士とは修業を積んだ人物で剣道や弓道の達人が多い。
花押
花押は武士のサインであり「書き判」ともいいます。武術の師範は伝授巻の署名において、この花押と諱(いみな)は必ず書かなければならず、さらに花押には必ず朱印を押す必要があります。門人に明石三郎兵衛、子に山本源助自見斎がいました。伊予大洲藩の小野十得斎月心(おのじっとくさいげっしん)らを輩出しました。諱の例→下井澤右衛門(字・あざな)政孝(諱・いみな)のうち「政孝」の一字またはその部分の組み合わせを書きます。この花押・朱印は下井澤右衛門 安政4年
心明剣の五図を以て工夫する
身体全体に気を行きわたらせ、修行を積んでいくと身のこなし「技」「こころ」ができるようになって、一つ一つとらわれることなく動きが自然にできるようになる。なお、多くの武士に影響を与えた八幡神は、戦を行う前に、ご真言的(功徳があるとされる呪文のようなもの)に「南無八幡大菩薩(なむはちまんだいぼさつ)」と唱えて、戦勝を祈りました。武士にとって八幡神は、崇拝されていたようです。
②兵論巻物
兵論は戦う者に物事の善悪を教える。兵法の動きは極めて合理的で確実に相手を倒すことができる。それが、武将の間に兵法が広まった理由でしょう。当流(山本流)の剣術の要は事(わざ)であり。「事」は体の働きであり、「理」は心の働きで、わざを使うための正しい道で、内面的なものが理だとのこと。
当(當)流とは
自分の生命に、無限の可能性が秘められており、自分の意志が固く何があっても信条をまげなければ、自身の取り巻く環境も変わり、ついには世界をも変えていけるという希望と変革の原理が法理です。無拍子は相手に察知されない、自分の攻撃を当てるための術理。要はリラックスして行う動作です。刀を持ってサッと立てなかったら、アッという間にやられてしまいますよね。労力を使わず綺麗に動くサッと立つサッと動く工夫なり。
③兵導記 上
無明(むみょう)とは迷い、住地(じゅうち)とは仏教の修行段階の52位の一つで住には「止まる」の意も含みます。煩悩(ぼんのう)は心が迷い、何かにとらわれていると対応が遅れて相手に切られてしまいます。心が何物にもとらわれていなければ、体が自由に対応して、相手が切りかかってきても、その刀を奪って相手を切ることができるのです。
不動智
不動智とは不動心であり、仏の道はいうに及ばず、剣の道を始めとした文武に渡る諸道を求める極致を示しています。それは不断の精神・修練によらなければ開かれません。心が四方八方に動きながらも一つのことにとらわれないのが不動智。不動明王のような不動智を身につければ決して負けることはない。千手観音を見てとらわれない心を学ばなければなりません。
右の書は当家の秘書をしているものである
日本ではアシスタントと英訳される場合が多いのですが、この場合はセクレタリー。これは取締役クラスを意味する。側近にありつつ、文章の管理を行うという職務に基ずく特別な地位で、連絡文書などの機密を扱う人を「秘書」と呼びます。努めて粗末にしたり他人に見せてはならぬものである。
④兵導記 中
「理」こころの修行・「事」わざの修行。仏教において「理」は、つきつめれば無心となり、促われない(境地)の意で、「事(わざ)」は5つの構えの他、様々な技術である。自由に動かす技術がなければならないとする。理と事は車の両輪。二つそろっていなければ役に立たない。修行することが肝要です。
胡芦子(ころ)し=ふくべ(ひょうたん瓢箪)
ひょうたんの種を貯えていれば、育ったひょうたんからひしゃくを作ることができます。基本的な能力を蓄えていれば、活躍する場がないことを恐れることなどありません。
慈円和尚の歌(平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧)
ひなびた家に美しい乙女がいるけれど、眺めてばかりで何もできない恋心この身がうらめしい。さて、武術の歌としてはどのように教えを受けるのでしょうか?相手の動きに誘われそうになるが、心静かに眺めていればといわれそうです。
鎌倉の円覚開山無覚禅師
蒙古軍が南宋に侵入した時に捕えられ、元軍を前に詠んだという漢詩だそうです。 首を切られること=死ですが、そんなことはなんたることはない。めでたいこと、どうもありがとう。禅師のいう「死」は身体の死であって、魂の死ではありません。それならいくらでもどうぞ、無覚祖元禅師の威厳が元の大軍を圧倒したといわれています。
⑤兵導記 下
求放心とは、孟子の言葉で、いったん放たれた心を再び自分の身の内に引き戻すという、心の動きのことです。本来正しい所業を行うための心が、悪行や卑しい行為へと逃げていくようなことを何としても引き止め、正しい道へと戻すようにしなければなりません。当たり前のことですね。
「本心・妄心」「有心・無心」
「本心」とは一ヶ所に心が留まらず、広がった状態を指し「妄心」とは一ヶ所に心が留まり、固まっている(止まっている)状態であること説明しています。妄心こそが、清浄な本心を迷わせる心です。自ら妄心に心を許してはなりませんよ。「有心」=「妄心」と同意で、「無心」=「本心」と同意であると説明しています。
授与
当流(山本流)剣術 四国伊予大洲藩・下井澤右衛門政孝師範から兵頭平十郎殿へ 師からすべての技芸を授かった免許皆伝巻物5巻を授かった兵頭平十郎殿は、感無量だったのではないでしょうか。古文書肉筆巻物が江戸時代から令和の今まで残っていました。
武道は武士の生きる道として、江戸時代以前から使われていました。礼儀は相手を思いやる心であり「自分がされて嫌なことは相手にはしないし、されて嬉しいことは相手にもしてあげる」という気遣いです。武道を習うことによって、陰湿なイジメなどの問題改善にも期待できるかもしれません。尚、武導記 上・中・下は「不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)江戸時代の禅僧・沢庵宗彭(柳生宗矩、宮本武蔵の剣は沢庵禅法に依るもので、たくあん漬けを広めたといわれています)の心法論の影響を受けていると思われる箇所がみられます。