① 伊豫岡八幡神社 絵馬 2022

富士山 受け継がれる想い

日本日本各地には10万社を超える神社が存在しています。伊豫岡八幡神社は我が町の有名な神社で、お正月には家族そろってお参りする神社です。清和天皇の時代貞観元年(859)に、宇佐八幡宮の神を山城(京都)に迎える途中、伊予灘の浜辺に船をとめたときに、八幡神社のある伊豫岳のあたりが、ぱっと明るくなり、神のお告げがあり「神の分身を祀るための良縁の場所である」と申され、里人が社殿を建てたのが始まりと言われています。

 

懐かしの神社 トラ 家内安全・商売繁盛・合格祈願・健康長寿

 

 

①神社の入り口(神社橋)

第一歩は神社前の石橋です。神社橋を渡りますと、両側に明治6年に建てられた常夜灯があります。神社の周りには鎮守の杜という森林があり、はえている植物は、暖帯の植物照葉樹で、100種以上の植物が群生しています。森の中には小高い山々が八個ほどあり、伊豫岡古墳群があります。

 

 

 

神社鳥居(とりい)

一の鳥居は安政三甲丑年三月総氏子中とあります。石工は山根源四郎氏子中となっています。鳥居の内の区域一帯を神霊が鎮まる神域で、境内と俗界の境界を示します。参道のそばには「身を清める」手水舎(ちょうずや)があります。

 

 

 

③楼門(ろうもん)

入り口にある二階造の門。下層に屋根のないものを楼門といい、屋根は入母屋造り瓦葺きの重層唐様折衷式で柱は円柱です。嘉永2年(1849)に建立。この均整がとれた楼門は、愛媛県松山市の椿神社の再建の参考とされたといわれています。

 

 

 

④一対の随身像(ずいじんぞう)→矢大神(やだいじん)・左大神(さだいじん)

隋神門(ずいしんもん)内より、ご祭神と神域を守護されるのは、僅かに朱色が残る「矢大神(若者)・左大神(老人))」は本殿にいらっしゃる神様の警護の神様です。奉納当初は、綺麗に彩色されていたと思います。神社に安置されているときは向かって左方が矢大神。向かって右に口を閉じている左大神

 

.随身門=随神門は左右に守護神像を安置した門。神域に邪悪なものが入り来るのを防ぐ御門の神をまつる門。

 

 

⑤木造獅子・狛犬像 

随身像(高い冠をいただき、武官の束帯姿で座っている)の反対側に安置されています。彩色もほとんど剥落していますが、力強く迫力がある姿を伝えているのは貴重だと思います。口を開けているのが獅子で、閉じて角のあるのが狛犬なのです。悪いものが本殿の神様に近づかないよう見張られていらっしゃいます。

 

老朽化がすすんでいますがいづれも貴重な作品です。古い時代の狛犬は、ほとんどが木でつくられています。

 

 

⑥一対の神馬像

伊豫岡八幡宮の楼門に、デコ屋 良七作の「神馬」が二頭左右に置かれています。好んで人形頭を製作し、その技は真に迫り名声高く、阿波の人形一座やその他の一座が、郡中を訪れた時には必ず立ち寄って、人形を買ったといわれています。この木製の御神馬を修復奉納(昭和57年)したのは、田中進で、デコ屋 良七は田中進さんの四代前の祖先だそうです。

 

(岡井家文書)によると、嘉永7年に木馬弐疋 湊町の唐川屋(岡井)・吾川屋(岡井)が寄進した。

神馬は白馬と黒馬がいて白馬は雨が降らない、黒馬は雨が降るとの意味を持たされています。

 

 

 

祭 拝殿は石段の先、緑の小山を背景に鎮座されています。拝殿は江戸時代前期:元禄7年(1649)の建立です。境内にある建築物や石造物の老朽化がすすんでおりますが、貴重な作品をたくさん見ることができます。大切に後世に残してほしい我が町のお宝だと思います。

 

 

 

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