日本江戸のもったいない

ルンルン江戸のリサイクル技術

瀬戸物の茶碗や皿が割れると、大量消費社会である現代ではゴミ箱行きですが、江戸時代は今のようにものがないため、専門の焼き接〈継)ぎ職人がいて修理をしていました。接着には当初漆(うるし)を使いましたが、18世紀末の寛政年間頃に白玉粉で接着して加熱する焼継法が発明され、この方法で修理をするようになったようです。正岡屋に残っている江戸後期の瀬戸物の皿を見て、当時の様子を少しだけ知ることができると思います。

 

懐かしの品  ラブラブ  「焼継」で修理された皿

 

①色絵中皿   直径 18、5㎝

スイカ前面ー当時高価であった染付の磁器を買い替えるよりも安価で、すぐに直して再利用できる修繕方法であった「焼継」が大変繁盛していた様子。寛政年間にガラス質の接着剤を用いた方法で行われるようになりましたが、この中皿の破損は白玉粉を糊(のり)で練った接着ではなく漆で修理をしています。

 

 

 

りんご後面ー「焼(接・継)屋」は、店を開いてそこで作業をするという形態は少なく、天秤棒の片方には火を熾した火鉢(小さな炉)。もう片方には道具や材料ー石灰、布海苔(布糊)、白玉、鉛ガラス粉末[釉薬]等を入れそれを担ぎ、「焼き継ぎぃ~焼き継ぎぃ」と言いながら町内を歩き、声がかかるとその店先を借りて作業を始めます。

 

 

 

バナナ状態ーほんとうにこんな修理で大丈夫かと、疑いたくなると思います。それで「器にお茶を入れて様子を見てみました。」水漏れもなく使える状態になっています。割れた茶碗やお皿を使うなんて今ではあまり考えられませんけどね。

 

 

 

 

②色絵大皿   直径 40㎝

さくらんぼ前面ー焼き物も、いったん壊れても捨てずにとっておいて、専門の焼接職人が回ってきた時に、声をかけ修理を頼みます。白玉粉というガラス質の接着剤を用いた方法(以前は漆を加熱)で、再び使用できるようにしてくれました。食用の白玉粉ではありません。

 

 

 

ぶどう後面ー「焼継」というのは別名ガラス継ぎで、忘れ去られた技術です。江戸のガラス職人がいなくなり、ガラス継ぎ自体が失われ忘れ去られた技法で「神秘の技法」と言われています。低火度で焼成する方法で、食材を入れても剥離しないように再生しています。この大皿は江戸時代から平成まで剥がれずに維持できています。

 

 

 

 

③青磁器大皿   直径  36、5㎝

ショートケーキ前面ー「焼継」は、透明な釉薬で接着するので、修理の跡が分からなくなるというイメージがありますが、実際には白く濁った透明ガラス質の線状が盛り上がった継ぎ目になり、疵口(きずぐち)が目立ってしまい綺麗な仕上がりのものは少ないようです。

 

 

 

 

にんじん後面ー近世後期の風俗誌 喜多川守貞「守貞漫稿(もりさだまんこう)」国立国会図書館の所蔵品から、江戸時代の人々の暮らしぶりを知ることができ、そこには「瀬戸物焼継業者」が紹介されています。

 

 

 

きのこ裏底ー貼られたものをはがそうとしましたが、なぜかはがれません。記号や文字が残っています。比較的安価であったとされる飯茶碗や湯飲み茶碗などの日常食器にも、江戸時代の武家屋敷の出土陶磁器に、数多く焼継の痕跡が残っており、資料館などで見ることができます。

川柳・・「焼継屋夫婦喧嘩の門に立ち」

夫婦喧嘩によって生じる割れた食器類をいち早く回収し修理するための、営業努力を行う焼継屋の姿が目に浮かびます。

 

 

 

 

④青磁器大皿   直径 33㎝

メロンパン前面ー「焼継」は色も目立たず、値も安く、職人が回って、手軽に治してくれたのでまたたく間に全国に広がりました。江戸時代後期には焼継修理は相当普及しましたので、焼き物を販売する瀬戸物屋が営業不振になったと風俗誌などに書かれています。

 

 

 

ロールケーキ後面ー明治になると瀬戸物が大量生産され値段も下がり、焼き継ぎ修理は急速に衰退していきました。高級な陶磁器を修理することは理解できますが、安価な食器も修理するのは、おそらく節約し物を大事にしていた証しであると思います。

 

 

 

コッペパン裏底ー「焼継」の痕跡と共に器の裏底には「焼継師」が文字や記号の焼継印(やきつぎいん)が白玉で書かれています。

川柳・・「番町の古井戸で呼ぶ焼継屋」

主人の大事な揃いの皿の一枚を割ってしまい、手討ちになったお菊さんが幽霊となって、井戸の中から焼継屋を招いて皿の修理を頼みたいとの思いが詠まれているのでは?

 

 

 

 

おにぎり江戸の町は世界一の人口を抱えていたのですが、ゴミの回収や物の修理など、今にして思えば立派なリサイクルをしていたので、マシュー・ペリー総督が黒船で来航した時に、驚いたのは町の清潔さだったそうです。「焼継」が身近であった江戸時代は、もったいない(Mottainai)が最盛期のようです。「焼継」=「焼接」

 

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