「LIFELIFELIFE 〜人生の3つのヴァージョン〜」観劇しました。(4/19マチネ)とても面白かった!!現実って本当はあんな感じだよねと思った。(ネタバレ感想です)
このお芝居はタイトル通り、同じシチュエーションで同じ面々が、微妙に違う3つのストーリーを演じるというもの。吾郎さん演じるアンリは冴えない天文学者、ともさかさん演じる妻は弁護士資格を持つキャリアウーマン、段田さんが演じるアンリの上司と大竹さん演じるその妻がアンリ夫妻の家を訪問する。3回とも、アンリがディナーの予定を1日勘違いしていたこと、子供が階下でぐずっていること、アンリが論文を提出して正規の研究職ポストを得たいと思っていることなど共通している部分もあるけれど、ストーリーの展開やそれぞれのキャラクターの性格や設定が微妙に違っている。たとえばアンリは1回目と2回目はずっと悲観的で自虐的だけど、3回目ではそれまでにない楽天的で自信家な部分が表現される。またアンリの妻と上司は何らかの(適切ではない)関係下にあることが示唆されるけれど、1回目ではその設定は全く出てこない。
もしこれが連続ドラマや連載漫画だったら「キャラクター設定がぶれている」とか「つじつまが合わない」とか言われると思うけど、本当の現実ってこんな感じだよねと私は思った。現実には多面性があって、皆が現実と思っているものは各々が捉えたものをつなぎ合わせて現実として認識しているにすぎないし、人間はいろんな性質や性格を持っていて、その場で発揮されるのはその一面にすぎない。この3つのお話はどれも現実でどれも現実じゃない、でもそれこそが現実というか。
たとえば、同じ場に居合わせて同じ出来事を経験しても、あとから話を突き合わせてみると各々が全然違った体験談を語ることもあるし、ある同じ人物の印象を話し合ってみたら、人によって感じ方が全然違っていてまったく違う人の話に思えることもある。自分だって、時と場合によって違うキャラクターを自然とまとっている。家族には無愛想で静かだと思われているけど、会社ではとても愛想の良い活発な人間だと思われていたりとかね。私たちは、無数の多面性や可能性の中からそのときそのときに自分にとって現実だと思えるストーリーを自分の中で作り上げてそれを現実と思い込み、合わないつじつまのことは無視して、それほど深く疑問を持つこともなく、自分自身もその場その場で無意識のうちにキャラクターを演じながら生きている。でも、私たちが現実だと思っていることのどこからどこまでが本当なのだろう?自分が思っている自分と他人から認識されている自分はどこからどこまで一致しているのだろう?各々の認識しているストーリーやキャラクターの違いはどこからどこまで許容されるのだろう?自分が現実だと思っているストーリーがまったく受けいれられない場所にもし放り込まれたら、いったいどうしたらよいのだろう?
そんなことを考えながら、四方を客席に囲まれた舞台上という虚構性の高い場所で、現実的だけど微妙に違うストーリーを何度も繰り返す4人のことを思い出すと、あの舞台こそ現実で、私たちが現実だと思い込んでいるものこそ虚構なんじゃないかと思えてくる。
4人はまるで弦楽四重奏団の演奏のように息の揃った演技で、ユーモラスでシニカルな作品世界がとてもよく表現されていた。翻訳ものでフランス人の設定だけど、演技も台詞もとても自然ですんなりと入ってきた。新しい地図さんのおかげでこんな質の高い舞台が見られて幸せです(新しい地図じゃなかったら多分出会えてないと思う)。新しい地図がはじまってからの3人の舞台は幸運なことにすべて見れているけど、これが一番好きかもしれない。まぁ日本の歴史はおいといて(特別すぎるから)。

