香取慎吾オフィシャルブログ「空想ファンテジー」があまりにも素晴らしく、更新されるたびに驚愕しているのだが、何がどう素晴らしいのかなかなかうまく言葉にできずいつももどかしく思っている。でも2/10更新の「エレベーター」がかなりの名作だったので、これを題材になんとか少し書いてみたいと思う。
「空想ファンテジー」で語られる物語の多くはありふれた現実の中に非現実が入り込むことによって成立している。「エレベーター」について言えば、語り手の主観が現実の範疇を逸脱することによって物語が成り立っている。しかし突拍子もないレベルではなく、日常の中にもしかしたらあるかもしれない程度の非現実性であるところが肝である。
物語はまず、カマキリが急いでエレベーターに乗ってくるところからはじまる。しかし「急いで乗ってきた」というのは語り手の主観であり、その不可解な断定から、読者は主人公が「信頼できない語り手」に類する人物であることを感じさせられる。カマキリは偶然エレベーターの中に入り込んできただけかもしれないし、そもそもカマキリなど存在しておらず、語り手が幻視しているだけかもしれないのである。
カマキリは語り手によって「カマキリの様なカマキリ」と表現される。カマキリの様なカマキリとは何か。ただのカマキリと何が違うのか。カマキリに擬態したカマキリなのか。カマキリに擬態したカマキリとは何なのか。…このあたりのあやふやさ、心もとなさに読者は漠とした不安を抱きはじめるのだが、その心的な不安定さが物語を読み進めるための強力なダイナモとなるのであり、ほんの一瞬のできごとの描写によって、読者は物語に心をつかまれることになる。
もし実際にエレベーターの中にカマキリがいたとしても、通常の精神状態ではそれほど気になることはない。でも、ふとした拍子に気になってしまったら、たとえ小さな虫だとしても意識の中で大きな存在を占めてしまうという経験は普通の人にもあるだろう。「ヒシヒシと感じる/カマキリは/こちらに斬りかかろうとしている」。語り手は体長わずか10㎝のカマキリに斬りかかられる恐怖を感じている。全く非合理的な恐怖だが、エレベーターは一時的に知らない人と密室に閉じ込められる場所であり、一般的に不安を喚起しやすく、実際は無害な同乗者に対して根拠の薄い警戒心や恐怖心を抱くというようなことが起こりがちである。そう考えると、10㎝のカマキリが気になるような精神の持ち主であれば、そのカマキリに斬りかかられる恐怖を感じてもおかしくはないような気がしてくる。読者が物語内において非現実的な要素を自然なものとして受け入れることを可能にする、巧みな状況設定である。
「小刻みに震えるカマキリの背中/しかしカマキリは、たかが10cmだ/絶対に勝てる/なんだこの恐怖は/もう少し/急げエレベーター」。語り手がカマキリとの対決を予感し、物語に緊迫感が満ちる中、エレベーターは3階で停止し「ご婦人」が乗ってくる。しかし「ご婦人」はカマキリの存在に気づくことなく、次の瞬間には語り手の恐怖の対象であるカマキリをあっさりと踏み潰してしまうのだ。語り手はつかの間、自らの勝利を喜ぶ。実際に自分が戦ったわけでもないのに彼の中では勝利になっているのが可笑しいところである。しかしすぐに彼の中から勝利の喜びは消える。「10cmほどのカマキリに/斬りかかられる前に/10cmほどのカマキリの様なカマキリは/ご婦人に踏まれた/勝ったけど/勝ったけど/素直に喜べない」。ここに至ってカマキリは、自らに不安をもたらす試練として、同じ空間を共有する仲間として、不意に斬りかかってくる災厄として、そして自らが自らの手で打ち破るべき敵として、語り手自身の存在に大きくかかわる何かになりつつあったのである。彼はもはや自分の一部を踏み潰されたかのような気分の悪さを感じている。
ほぼ語り手の主観の中だけで起こる物語ではあるが、最初から最後まで読者の心をゆさぶり、不安と笑い/反感と共感がないまぜになった複雑な感情を抱かせる。このような物語は、誰にでも書けるものではない。
蛇足だが、この物語の構想は朝日新聞連載「地図を広げて」(2月2日付)で披露されている。その時にはカマキリは「体長30㎝のカマキリのような何か」として語られている。構想がどのように変遷してこの物語に結実したのか、想像するのもなかなか面白い。
今年元旦の開始以来、このブログは一日も休まずに更新されている。読者からの反応も励みになっているとは思うが、まずは本人が書きたくて書いていることがひしひしと伝わってくる。毎日さまざまな仕事を抱えて超多忙であるはずの彼が何故、こんな才気に満ちた、しかしとても普通ではない、頭のおかしな(褒め言葉)作品を毎日書かずにはいられないのか、私は読むたびに可笑しくて仕方がなくなる。しかも、相当浮世離れした毎日を送っていると思しき彼が、何故か主に市井の人々の小さな日常のようなものを日々紡いでいることも、私には可笑しくて仕方がない。この人は、世の中の人が思っているよりずっと、そしてファンが思っているよりずっと変な人なのかもしれないと思う。と同時に、みんなが思っているよりずっと健全な精神の持ち主なのかもしれないとも思う。彼はあまり本を読まないと公言しているし、たしかに本を読まない人の文章だなと感じるところもあり、惜しいと思うこともあるのだが、それが却って個性になっていると捉えることもできるようにも思う。しかし本を読まない彼がなぜこのような文学的な作品群を生み出せるのか謎である。内容も多岐に富んでいて、日によって笑わせたり、泣かせたり、くだらなかったり、感動的だったりとさまざまである。ともあれ、私のようなもともと頭のおかしなファンにとっては、自分の好きなアイドルがこんな頭のおかしなお話を毎日作って発信してくれること自体、毎日笑いが止まらないくらい幸せな事件である。いつまでこのぺースが続くのか分からないが、本人の気が済むまで続けて欲しいし、気が済んだら毎日更新しなくても良いので、好きな時に好きなだけ書いて欲しいと心から願っている。
