この記事は抽象的であり、また批判的な意見や揶揄を多く含むためYOASOBIが好きでたまらない敏感なキッズはブラウザバックを強く推奨します。また文章化するにあたり文語体にしていますが、家族間でこのような口調で会話を行なっているわけではありません。


























 ある日の弟との会話。YouTubeのおすすめに出てきた「YOASOBIのボーカルを加工だと思っている人に見て欲しい動画」が発端。


 「みんなで歌える部分あるやつあるじゃん」と弟が訊ねる。群青の事だろうな、と思いワンフレーズを口ずさみ確認した。弟曰く「カラオケで盛り上がる」旨を話したかったらしいのだが、私の意見は「ボーカルの歌唱力を加工で台無しにしている残念な曲」である。


 私はその理由をこう例えた。

 「何が食べたい?」と聞かれた時に、「魚が食べたい」と答えたとする。この時に想像している"魚"とは当然"生又は焼いたもの"である事はある程度認識を共通できると思う。

 ここで、出てきた魚が燻製であったらどうだろうか。魚を食べたかったので魚を食べたいと言った者が満足する可能性は低いのではないか。「え、なんでわざわざ燻製にしたん?」と思ってやまないだろう。ただし、ここで重要なのは魚の燻製を用意するにあたって、既製品を買うのでなく調理して作った、というイメージであることに留意頂きたい。


 この話を聞き、弟はこの例えに乗る形で「燻製を食べたい時に食べれば良い」と答える。先述のイメージが共有しきれていないが故の意見であるが、現段階でYOASOBI≡燻製(mod 偏見)の合同式が成立している私にはこの意見が正しく適用される。要は生魚が食べたいのであれば生のものを用意し、燻製は燻製を食べたい時に食べれば良い、と言うことらしい。なるほど正論である。

 弟はこう続けた。

「燻製屋で『ここ燻製しか置いてねぇな』と嘆くのは愚かだ」


 これに対しては思うところがあった。

 「燻製に適した魚を燻製にするのは良いが、美味しい魚を燻製にすれば美味しい燻製になる、という方針には賛同しかねる」

 つまり、私にとって歌声は生魚であり、YOASOBIは生で美味しくいただける魚であるのだ。燻製にしても美味しいかも知れないが、生の良さは消えてしまう。この時の燻製にとはボーカルエフェクトなどの加工の事で、「この魚は美味しいから燻製にしても美味しいよね」とエフェクトを重ねに重ねられていることが不満なわけだ。


 流行りのTHE FIRST TAKE、全く加工していないと言うわけではないが、限りなく生の状態に近いのは納得いただけると思う。YOASOBIの出ているものと配信されている通常音源と比較する事で「生」の意味するところが感覚的に理解できるのではないだろうか。




 この他にも「日本の魚は燻製向き」だとか「生魚なら輸入品」とか言った話ができるのだが、例えの抽象性がどんどん上がる上にある程度音楽を評価する指標が確立されていないと理解に難がある話題なので、ここでは割愛する。最後に一言。


「日本の魚料理は結局醤油の味」