ミニカーでクルマを好きになるブログ

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クルマ好きのミニカーライフ   (ミニカーをインプレッションします!)

コレクションの終活整理をしています。これ以上、増殖しないように、キャッチ&リリースの精神でミニカーの入れ替えをしています。それぞれのクルマの魅力をミニカーを通して感じてください!

フロントの黒いエンブレムの話で、F1ドライバーのジム・クラークが亡くなった(1968年4月)後、1年間だけ、チャップマンが哀悼の意をこめて量産車のエンブレムを黄色/緑から、黒いエンブレムに替えたという話は有名ですが、どうやら、この逸話はイギリス本国では正確ではないようです。確かにチャップマンはジム・クラークの死後、黒い腕章をしていました。でも量産車のエンブレムを黒に替えろとは指示していません。黒いロータスバッジのデザインは1964年以前には、既に開発されていました。黒いエナメル製のノーズバッジはジム・クラークが亡くなる前から存在しており、一部の車に装着されていました。ジム・クラークの死後、工場の連中が、最高のレーシングドライバーを追悼して、より多くの車に黒いバッジを付けたそうですが、グラハム・アーノルド(ロータス工場の関係者)の話によると、黒への色変更は哀悼の意というよりも必要に迫られて生まれたもので、黄色/緑のバッジはアメリカでの衝突試験に失敗し、エナメルが「シャード化」したため、唯一の代替品のカラーが黒だったそうです。グラハムは30数年前の講演で、そのことについて明確な回答をしています。1967年の彼の仕事の一つは組み立てラインの部品を注文することでした。「彼はバッジが切れかけているのに気づき、チャップマンに報告すると、新しいバッジの見積もりを取るように言われました。そこで彼はいくつかの工場にリクエストを送り、色なしでやることも含め依頼しました。彼は見積もりが戻ってきて、それをチャップマンに渡し、黒いバッジが安かったと言いました。チャップマンはそれをとても気に入り黒エンブレムを大量に注文しました。」(それが安かったからです)。」彼(グラハム)は、「黒いエンブレムの製造単価が安い以外には理由がなかったと言いました」。ジム・クラークがクロエンブレムが注文されたのと ほぼ同時期に亡くなったのは、まったくの偶然でした。1970年からは黄色/緑にもどりましたが、顧客が希望しない限り、黄色/緑か、黒かは、工場から出荷されるまでわからなかったそうです。(工場の部品の在庫状況で両方を採用したそうです。)


その後、チャップマンは、辛くてだんだんと黒いバッジが嫌いになりましたが、その頃、強かったロータスF1のJPSカラーを量産車でも、(ポルシェやフェラーリみたいに)、アピールしたかったので、嫌いになってからも黒エンブレムを採用したのだと思います。皆さんは、どう思われますか?私は、チャップマンはJPSカラーが大好きだったので、黒エンブレムのクルマを増やしていったんだと思います。私は渋くてカッコイイと思うのですが!


余談ですが、中国だとロータスは商標の関係で「ロータス」を名乗れず「ロータスニョ(LOTUS NYO)」を使用しています。こんなの、ロータスじゃなぁーい!(現在は「LOTUS」版権を取得出来ています。)


 

#4840は、1971年6月25日にイタリアの代理店リゲッティに供給され、翌年の1972年5月にドイツの最初のオーナーに売却されました。工場出荷時はロッソ・コルサのボディーカラーでブルーの内装でした。1977年に2番目のオーナーの手に渡る前に、ミウラJOTAに似せた外観の改装が行われました。(この時は未だ赤色)1978年に再び所有者が変わり、その後4代目の所有者の手に渡り1997年から2001年にかけてレストアが行われました。ボディ、シャーシ、内装は「新品同様の」状態に戻され、エンジンとギアボックスは完全にオーバーホールされました。車体はJotaのボディワークを残し、美しいダークグリーンで仕上げられ、ホイールはゴールドに塗られ、内装はクリーム色と黒のレザーでトリムされています。2012年のエッセン・テクノ・クラシカにも登場し、ドクター・エトカー(食材会社)のコレクションの一部となっていました。2016年に元の仕様に復元されました。前のオーナーは2015年にドクター・オエトカーコレクションからこの車を取得し、1971年6月の工場仕様に合わせた外観のレストアに着手することを決意しました。JOTAの外観を取り外し、オリジナルの格納式ヘッドライトを取り付けた後、ロッソ・コルサで再塗装されました。インテリアは濃紺に再生され、メカニズムも徹底的に修復されました。2016年に完成したシャーシ#4840は、2021年に次のオーナーが購入しました。2024年にランボルギーニ・ポロ・ストリコによる認証を受け、認証書類も添付されています。(この時、ミラーをオリジナルのシルバーに交換)さらに、ランボルギーニのレザーフォリオ、オーナーズマニュアル、ツールキット、そして1972年までの前オーナーを詳細に記したドイツ語の書類も提供されています。



 

ランボルギーニ社が自らレストアした第一号車「ランボルギーニ・ミウラSV」シャーシ#4846 ミウラSV 1号車です。シャシー#4846はミウラSVの生産1号車です。その後のミウラSV生産のための試作モデルでした。実質的に改良型ミウラSであり、仕様は市販のミウラSVとは若干異なっていました。販売時に「ミウラS」から「ミウラSV」に変更されました。ボディーはヴェルデ・メタリザート(薄いグリーンメタリック)の美しいカラーで塗装されていました。ホイールとサイドシルは金色に塗装され、1971年3月8日にジュネーブモーターショーにLP500とともにベルトーネのブースに展示され、その後、スイスの代理店で売却されました。1990年代後半までスイスに留まり、その頃には、1度レストアされ、緑から赤に色が変わりました。2015年には、ランボルギーニのポロ・ストリコ部門のレストア1号車に選ばれ、大規模レストアが施され元の状態に戻されました。エンジンもフルレストアされ、新しいヘッドランプの処理や下部ベントのサイズが大きくなっています。SVの初期型は、ミウラSのまつ毛を取り除いた後に黒いプレートを取り付けて「まつ毛なし」にしています。その後は、ボディパネル側を黒くしてカウル一体型で「まつ毛なし」の顔に整形され生産されています。https://www.youtube.com/watch?v=gP09PdpNcwc