随分久しぶりの記事が、例によってこんなネタですみません。

松本氏、あっという間の辞任劇。
正直、あきれていらっしゃる方も多いと思います。

なぜこんなことになってしまったのか?

ちょっと思い当たる節があったのでここにメモしておきます。





松本氏、そんな極悪人とは思えません。

上下関係には厳しいが、逆に親分肌で部下の面倒見もよく、
部下に責任を押し付けたりしない。

と、そんな評判の人物のようです。


それが、なぜ今回のような放言を繰り返すことになってしまったのでしょう。

それを考察します。





そもそも、自分の発言がどれほどの影響力を持っているのか、
「説明不足」がどんな誤認・曲解などの原因になるか、
そういう基本的なことがちょっと足らない人のような気はします。

それは前提としてあるとして、それだけが原因ではないと思うのです。




松本氏の言動で、問題になったもの。
(僕が問題だと認識したもの)

①「やってやらんぞ」発言
②長幼の序
③オフレコ
④九州人でB型
⑤被災者を傷つけたなら謝罪したい


あの発言を、我々庶民の感覚で聞いていると、
ただの傍若無人な権力を笠にかぶったバカ野郎にしか思えません。

でも、このことが明るみに出た後でも、意外と悪びれた風がなかった。
どうしてなんだろう、と違和感を感じました。

割と評判の良かった人が、どうしてこんなことを突然やってしまったのだろうと、
不自然さを感じました。




で、わかった気がしたのです。

たった2つの前提を置くと、
これらの言動がなんとなく一連の脈絡を持って理解できる感じがするのです。





<前提その1>

松本氏は、国と地方自治体では、国のほうが上位だと思っている。
理屈ではわかっているかもしれませんが、深層心理のような基礎の部分に
そういう考え方が染み付いている。


<前提その2>

松本氏は、政治の力関係の世界に慣れすぎて、民主主義の原則を忘れている。
政治家には権力があって、国民を政治(選挙)のための道具だとしか思っていない。






説明します。

国は「上司」なんだから、ある程度のお膳立てをして、
根回しをしてから上奏すべき。

会社組織の中で上司と部下の関係であれば、ある意味当然のことです。
何もかも上司に押し付けていては、仕事が廻りません。

ただ、国と地方自治体の関係はあくまでも「対等」ですから、
本当はこんなことではないはずです。
でも、松本氏はそこに気付いていない。

だから、上司が部下に対する「当然の」要求をしただけ。
こう考えれば、反省なんかしなかった理由が説明できます。




加えて、松本氏は、知事よりも大臣の方が「目上」であると思っているから、
先に応接室で待つべきだと思っているし、
長幼の序が適用されると思ってしまっている。

だから、目下に対して、礼儀を「指導」しただけであって
無理難題を押し付けたわけでもないし、
いじめたわけでもない。

あくまでも上司と部下だと思っているからの当たり前の発言なのです。

もしかしたら、むしろ「近しい間柄」だからこその愛の鞭のつもりだったのかもしれません。
会見最後のオフレコ発言が少し笑いながらだったのも、「いい事をした」とお考えだったからでしょう。


そして、問題のオフレコ発言。

後に、東京での囲み取材に対して松本氏はこう言っています。
「知事を叱ったということが報道されたら知事がかわいそうでしょ。
 だからオフレコと言ったんだ」

これ、本音だったかもしれません。

部下(中間管理職)の立場を慮る、優しい上司の発言だったんです。
きっと。
あくまでも、かばおうとしたのは自分ではなくて知事。

だから問題になるとは思っていなかったし、最初は反省もしていなかった。
(ちょっと言論に対する弾圧のような物言いはあんまりだとは思いますが・・・)





とにかく、松本氏ご本人は正しい事をやったと(ご自身の感覚では)思い込んでいますから、
言い訳(九州のB型)も、半分冗談めかして、世俗に近い物言いで、
ちょっと言ってみたというレベルでしょう。

どこが悪いのか理解できていないんだから、
きちんとした反論や説明、謝罪なんかできるわけがありません。

だから、論点をすりかえたような、あんな言い訳(九州のB型)になってしまうのです。




そして、最後に、自分自身を含め知事も議員も大臣もみんな国民の代表であるということが、
ものの見事に欠落してしまっているのが見えました。

知事は県民の代表であり、県民の意思で選ばれたわけですから、
ある意味「知事=被災者(県民)」なわけです。


知事を侮辱し、県政に無理を言えば、それはイコール被災者を傷つけているということが、最後までお分かりにならなかったようです。

「被災者に寄り添ってきたつもりであり、被災者を傷つけるつもりなんかなかった」
松本氏はおっしゃいます。


政治家(知事を含む)が、国民の代表(ある意味国民の意思の総意や象徴のような)であることを、
全然感じていらっしゃらない。

自分も、国民の代表である事を忘れていらっしゃる。

選挙を戦うために投票をする(させる)道具としか思えなくなってきていて、
もしかしたら「敵」だったり、
「利用する相手」でしかないのかもしれないですね。


ご自身が国民の代表である事を心底ご理解いただいているなら、
「寄り添う」なんていう表現も出てこないと思います。

これも、「優しい上司」の発言でしょう。

自分の方が国民(庶民)より偉いっていう位置づけだから出てくる言葉だと思います。






よくできた政治家と言われる人でもこの体たらくだということですね。

失望以外の何も感じません。


彼を擁護している他の政治家さんも、この根本的なすれ違いに気付いていないわけです。

同様に失望しました。


彼を非難している野党も、論点がずれていると感じます。
言葉遣いが悪いとか、被災者への思いやりが足らないとか、そういう問題ではありません。

恐らく自分たちも同じ感覚なのでしょうね。




まったく失望しました。

松本氏だけではなく、民主党も自民党も含めた、全政治家に対して。















震災でとても大きな被害を受けながらも、
暖かさを忘れず、
感謝の心を忘れず、
自分だけでなくみんなが少しでも幸せになるように、
冷静に、控えめに過ごす東北の人々。

静かな情熱にあふれ、
明日を諦めず、
未来の設計をはじめた日本の人々。


そんな東北人、そして日本人を見て、
世界が動きました。




競争は必要だが、
人を貶めるのではなく、
自分が成長するような競争を。

思いやりの心があれば、
世界は美しく変貌できる。



国境を越え、
言葉の壁を越え、
世界中の人々が日本人の行動に注目し、
より美しい世界を作るための行動を起こし始めています。



争うことの醜さ、
奪い合うことの愚かさ、
世界中がそれに気付きました。







震災から10年後。
世界中から無意味な殺し合いがなくなり、
略奪がなくなろうとしてます。



独占より共有を。

奪い合いより譲り合いを。



国境の意味は希薄になり、
自由でありながら節度のある相互の貿易が盛んになり。

お互いの不足部分を補い合い、
お互いの得意分野を与え合い。

地球を愛で、
大地をいとおしみ。
自然への畏敬の念を忘れず。

常に備え、
常に与え。


人類が一体となって高みを目指す。
そんな時代になりました。













エイプリルフールのジョークは思いつきませんでしたが、
この震災をきっかけに世界が好転していくことを妄想してみました。

世界中の方々の温かい気持ちにとても感激しています。
このまま、本当に暖かい世界になってくれないかと、
本当に願います。



広島の秋葉市長が次期市長選に出馬しないことを表明した。

その方法が、15分近くに渡るYOUTUBEでの演説だった。
なんともイマドキな感じである。

是非、そのすべてをお聞きいただきたい。




秋葉市長が何故こういう手段を採ったのか。
背景にはマスコミへの不信があるとの報道もあった。
(こういう報道をしてくれるのはネットメディアである)



どうも実際、マスコミ報道の不正確さを嘆く声は多い。


今回の一連の報道の中にも、以下のような秋葉市長の発言の記録があった。

「マスコミの皆さんにこれだけ話しても十分に伝わらないというのは、マスコミの皆さんにもう少し正確な報道をしていただきたいなということをお願いしてるつもりでもあるんですけれども、そういった過程を経ないと、なかなか次の段階はどうするかということにはならないんじゃないかと思っています。まずは事実を正確に伝える。皆さんにはそれを誤解をあおるんではなくて、正確な理解を多くの皆さんがしてくださるような形での努力をさらにお願いしたいということを申し上げているつもりです」
(http://www.j-cast.com/2011/01/06084987.htmlより一部引用)



アメブロにある、宮崎県の東国原知事のブログにも、そんな苛立ちが何度も書き込まれている。

まぁ、多少は「言い間違い」「聞き間違い」というのもあるのだろうが、何度もそれが続くというのは改善の努力もされていないと判断せざるを得ない。




今回の秋葉市長の場合、マスコミがすべきことは、
YOUTUBEを使ったことを糾弾する報道をすることではなく、
そのネットにある演説を、わかりやすく正確に自分たちの持つメディアに掲載もしくは放送することだろう。

「ネットを見られない市民から怒りの声が上がっている」などというソースの不確かな抽象的なことは報道する必要はなく、その市民のために正確な報道をすることが使命なのだと思うが、いかがだろうか?



ちなみに、新聞の人口1000人あたりの発行部数は512部。
1世帯当たりの普及率は95%。
(ただし、複数部数を購読している世帯も多いため、実質はもっと下がる)

インターネット利用率は95%
(1年に1度以上インターネットを利用した率)

テレビの世帯普及率は100%に近いが、
ニュース番組の視聴率は最高に高いものでも15%台。

当然、これらにも数字のマジックが仕込まれているが、数字の大小だけで判断はできない。
ただ、どのメディアでも全員には行き渡らないということであり、その観点だけでYOUTUBE(インターネット)を非難するのは筋違いだと言うこと。



繰り返します。
新聞やテレビというレガシーな報道機関としては、
youtubeをニュースソースとして、インターネットにアクセスしていない国民に向けて、
その内容を正確に伝えること。

youtubeに投稿した事を非難したり、そのこと自体のみを報道するのであれば、
まったくその存在価値はないだろう。