試験の合否結果が、トップからビリまで全員実名、しかも克明な点数つきで、白日の下にさらされる。おまけに、受験者のみならず第三者も出入り可能な公の場。


 

 中学高校時代、期末試験の結果が廊下に貼り出される、なんてことがあった…かどうかさえ、もはや忘却の彼方。なのに、人生この期に及んでそんな刺激的リストに名を連ねるという、栄誉ある(!?)経験をした。ちなみに私は49名中ビリから7番目の「不合格」、という刺激的な結果である。

 2年前にゼロから始めた声楽のレッスンが面白く、先生に勧められるままに出場したアマチュアの声楽コンクール。10~14歳のジュニア部門から74歳以上のオメガ部門まで年齢別に6部門。最初の地区大会ではその会場での受験者8人中7人が合格という「ザル」状態のおこぼれに預かって、準本選に進出した。
 が、さすがに本選への道は甘くない。私がエントリーした41~60歳の部門は、アマチュアといっても音大出身で声楽歴20~40年、みたいな人がぞろぞろいて、2年目の“新人”はとても太刀打ちできない。ビリじゃなかっただけでも、ラッキーと思わねばならない。
 今日日、個々人のランク付けはやめましょう、ましてや公表したりしたら個人を傷つけかねないからNGですよ、など、社会はどんどん「優しく」なっている。あるいは個人情報の取扱いも要注意だ。そんな中、この声楽コンクールのスパルタなシステムには驚いた。

 しかし、この世界ではどうやらこれが当たり前らしい。
 9月に、私の師匠(去年東京芸大修士課程を修了、現在二期会会員の20代後半の女性)が出演する二期会マスタークラス修了・成績優秀者による「新進声楽家コンサート」に行ったのだが、総勢20名の出演者は、なんと「成績が低い順」だそうな(後で先生が教えてくれた)。二期会研修所でも、毎月試験があって、毎回順位が発表されて、同期の中のランク付け(の変動)が一目瞭然だったという。オソロシイ世界である。
 ちなみにコンクールの成績は、審査員7名が各自に技術点・芸術点をつけ、その合計点で決まる。どの審査員がどの受験者に何点をつけたかも、すべて白日の下なのである。そんなことしたら、モンスターペアレントが評点にいちゃもん付けに来る可能性だってあるのではないか。

 全くもって、オソロシイ世界である。
 でも想像するに、そういう事件はたぶん起こっていない。良く知らないけれど、声楽だけでなく、ピアノでもバイオリンでも、プロの音楽家の世界は似たようなシステムなのではないかと思う。

 それに、このアマチュアコンクール、合否発表後に7名の審査員が希望者一人ひとりに講評をくださる。「あなた、初心者ですね。この部門は経験の差が大きいから、入選できないのは当然。がっかりする必要はないです」と妙な慰め方をされた(笑)。
 

 「ゆとり教育」と真逆を行くようなこの仕組みをどう考えたらよいのだろうか。
 おそらく「本気度」の問題なのではないか、と思う。本気で声楽をうまくなりたかったら、誰が自分より上手いのかを知り、その人をベンチマークして、その人の技能を見習う。トップの成績を羨ましいと思うヒマがあるなら、自分も練習するしかないのである。
本気でその道を究めようと思ったら、ビリのレッテル貼られる恥ずかしさも個人情報漏洩もへったくれもない。
 もちろん私は今更プロを目指すはずもなく、単に趣味で声楽を習っているだけなのだが、けっこう本気である。コンクール前でなくても、ほぼ毎日練習している。

 先生の本気度は、さらにハンパない。親子ほど歳が離れている生徒(先生のお父様は私と同い年である)に対して、びしばしダメ出ししてくる。
 「はい、やり直し」「それ、ちがいます」「それじゃダメ」
 おかげで、何がダメで何がOKかの区別はつくようになってきた。

 事業会社の人材育成や人事評価を、声楽と同列で比較するのが適切かどうかはわからない。けれど、「ハラスメント」という言葉が拡大解釈され過ぎて、上司はダメ出しすべきダメ出しもできず、部下は自分の実力も努力すべき点も曖昧になり、結果的にお互いの本気度が削がれていないだろうか。1on1で部下一人ひとりにFBするのがタイヘン、という声も聞くが、声楽の審査員は、1日に50人の歌を聴いて一人ひとりに講評していたぞ(評価基準が明確だから、だとは思うけど)。
 ビジネスの目的に対して、お互いの「本気度」が本気であれば、かつお互い本気であるということをお互いが信じ合えれば、もう少し率直でオープンで、もっと切磋琢磨できる良い関係が築けるのではないだろうか。

 

 …と、他人のことはさておき、声楽。来年は500点より高い点数とれるよう、精進いたします!!