いきなり不穏当な発言で恐縮だが、「本当に嫌いな人」について、私には明確な定義がある。それは、「私がその人を嫌いだということに気づいてくれない人」。

 ちょっと苦手だな、と思う人に対しては、さり気なく(あからさまに???)「私はあなたが苦手なんですごめんなさい近づかないでください」オーラを発信する。というか、むしろ相手から苦手オーラを発信されてしまうことがままある(気のせい???)。感知すると、「そうですかわかりました」と、相手との接点を減らし、できるだけ距離を置くようにする。そうすれば、「苦手」は「嫌い」にまで発展することなく、ぎりぎり平穏な関係を維持することができる。…と信じている。
 たまに、どんなにオーラを発しても、あるいは遠回しに(あからさまに???)苦手な理由を示唆する発言に踏み切っても、モノともせずにぐりぐりと近づいてくる輩がいる。
 あー、これ以上近づかないで。本当にキライになっちゃうから。お願いやめて。
 あーあ、一線を越えちゃったね。ゲームオーバー。
 かくして、「本当に嫌いな人」殿堂入り。
 ごめんなさいね。

 いやいや、ここで懺悔するのが目的ではない。
 似て非なる話になるのだが、自分自身のネガティブな思考とのつき合い方について、考えたいのである。

 上述の定義を裏返すと、「嫌い」というネガティブ思考が(相手に)受け入れてもらえると、「本当に嫌い」という本当のネガティブ思考に発展しなくてすむ、ということ。
 カンタンに言えば、人は、ネガティブでも何でも、自分の本当の気持ちを(相手に、あるいは自分自身に)そのまま受け容れてもらいたい生き物なのだ。ありのまま受け容れてもらえば、それだけでポジティブになれる。

 なのに、人は得てして、ネガティブ思考を「ネガティブ」に捉えがちだ。
 「あの人って、嫌だな」「あの人の、こんなところが苦手だな」と思うと、「ああ、いけない、そんなネガティブな考えを持ってはいけない」と、ネガティブ思考を否定しようとする。相手をもっと好きにならなきゃ、と無理やり本当の気持ちを曲げようとする。
 けれど、「嫌い」という思いは結構生理的なもので、無理やり否定しようとしても心理的にムリが生じ、ストレスが増すだけである。
 ネガティブ思考は、ネガティブと認めつつ、否定せずにそのまま受け容れる。
 以上。

 もう少しフクザツなケース。
 「リスキリングしないと社内失業しちゃうから、ホントは勉強したくないけどしなきゃ…(must)

…という考えを抱いたとする。心理学ではこうした「××を避けるために△△しなきゃ、という考え方を「回避志向」と呼ぶ。
 あー、こういうネガティブ思考、やだなー。そうじゃなくて、

 「リスキリングしてキャリアアップしたいから、リスキル勉強したい!(want)」

…って、もっと前向きに考えられる(こちらを「接近志向」と呼ぶ)といいのに。
 「回避志向」と「接近志向」を比べると、後者のほうがポジティブで好ましいと思いがちである。しかし、回避志向がリスキリングへの動機づけになり、「勉強する」という真っ当な行動に結びつけば、それはそれで結構ではないか。
 「やりたいからやる」でなくても、
 「やりたくないけどやらなきゃいけないからやる」でも、
 「やる」という行動がちゃんとできればよい。

 でもやっぱり、せっかくやるなら「やらなきゃ」モードではなく、気持ちよく「やりたい」モードでやりたいんですけど、と思うなら、こう考えればよい。
 「『やりたくないけどやらなきゃいけないからやる』ことをやりたいからやる
 以上。

 ちなみに、冒頭の「私がその人を嫌いだということに気づいてくれない人」問題について。
「私があなたを嫌いだっていうことを、お願いだからそのまま受け容れてください」
とは、さすがに言えない(笑)。そこで、「別に、その人と結婚するわけじゃないし」と自分に言い聞かせ、殿堂に入っていただく。
 ネガティブな気持ちも一緒に殿堂に入れて、鍵をかけて、フリーズする。
 たまに殿堂を覗いてみると、意外に、ほとんど、誰もいない。