年々「年賀状」の枚数は減らしているものの、代わりにネットで電子ファイル版をアップするので、賀状の文面作りの手間は変わらない。たった200字程度でも、行く年を総括し、来る年を展望しながら、人生のプチ棚卸を言葉にするのはなかなか難儀だ。あれこれ考えあぐねて、繰り返し書き直していた年は、思えば、迷いが多くて気持ちが千々に乱れがちな頃だったのかもしれない。

 今年は、住所録の見直しもかつてない早さで始め、200字作文も例年になくすらすらと筆が進んだ(って、キーボードだけど)。さほど思い煩うことなく、日々を過ごしている証拠かも、と思い、ちょっと嬉しくなった。

 

 …と、つい書いてしまったが、それでも迷うのは、年賀状の常套句とも言える、「日々を過ごす」という表現である。

 

 「来年は充実した日々を“過ごしたい”と思います」などと書く。

 「健やかに “お過ごしください”」と、相手に対して使うことも多い。「楽しい毎日を “送っています“」という別の言い回しもある。

 「過ごす」「送る」という動詞は、なんとなく受け身な感じがして、違和感を覚えるのだ。人様に使うのはともかく、自分自身の場合、時間をやり過ごしているような、なすがままに先に送り流しているような、そんなイメージが思い浮かんでしまうは、私だけだろうか。実際、日々のほとんどはそうかもしれないが、年に1度の年賀状くらい、“自ら能動的に行動してる感”のあることを書きたい。この動詞を唯々諾々と使うことに抵抗を感じる。

 面白いのは、英語では「Have a healthy life」とか「I live a pleasant life every day」など、「Have」や「Live」という動詞が使われること。何にでも便利に使える「Have」はともかく、「Live」という単語を和訳すると「生きる」「生活する」になる。「楽しい毎日を生きています」と書くと、なんだか大袈裟になりそう。逆に、「過ごす」「送る」の直訳であるSpendやSendは、日本語に逆翻訳すると「費やす」みたいな、消費的・消耗的なニュアンスになってしまう。

 

 そんな、難しく考えなくたって、慣習なんだからさらりと「過ごす」「送る」と書けばいいじゃない。誰も気にしないでしょ。そう思いながらも、やっぱりずっと気になっていた。

 

 そして、ようやく、自分にとってしっくりくる言葉が見つかった。

 「歩む

 日々を歩む。毎日一歩ずつ歩む。

 

 還暦を過ぎて、「もう歳だから」を言い訳にして歩みを止めたくなる気持ちを奮い立たせるのに、もってこいだと思う。これが「1歩ずつ“進む”」となると、ばしっと目標設定してそれに向かって計画的に、着実に進みます、みたいで、自分にプレッシャー掛け過ぎ、気圧される感じがする。

 どこに向かっているのか、先がどれだけ遠いのか(近いのか)、わかっていてもいなくても、昨日よりちょっとだけ足を動かし、その分ちょっとだけ周りの景色が変わる。

ただ時間をSpendするだけでなく、1歩1歩大地を踏みしめながら、歩んでいかれると、いいな、と思う。

 

 ・・・というわけで、本文を久し振りに「パワーチャージ@パラスアテナ」にアップしたら、カバーページに「より自分らしい人生を歩めるようサポートする」って書いていた…(笑)。
 

 ということで、来年は、学びも遊びも楽しみながら歩んでいきたいと思います。

 皆様も、ぜひ自分らしい人生を歩んでいかれてください。