強烈なオーナー社長に仕えた経験のある友人のAさんが、口癖のように言う言葉がある。

 「あの社長の前では、『はい』か『YES』しかなかったからね」

 「NOと言える日本」というベストセラーを編んだオーナー社長の会社に新卒入社した私にしてみると、「へー、そうなんだー。信じられなーい」という感じだったのだが…。
 つい先日、某大手証券会社の方と「ダイバーシティ推進」についてお話していて、びっくりした。

 「うちの会社は、先輩に対して『はい』か『YES』しかありませんから…」

 考えてみたら、Aさんの新卒入社先は件の証券会社である。あの口癖はAさんオリジナルではなく、当該企業の伝統文化だったのだ。

 そんな「イエスマン」ばっかりの会社って、どうよ、と思うことなかれ。強烈オーナー会社も、某証券会社も、業界を牽引する立派なリーダー企業である。「はい」か「YES」のカルチャーは、れっきとした勝因になりうるのである。
 以前、メーカーから金融業界に身を転じた直後、私より15歳以上年下の銀行マンが、その背景を明快に説明してくれた。
 「金融業務は、経験がモノを言うんです。何がクロで何がシロか、グレイのぎりぎりどこまでが許されるか、その勘所は、経験を積まないとわからない。だから、経験の長い人がエライんです」
 うわぁ~、なるほど~。すごい説得力。経験よりも個人の天才的ヒラメキで大ヒット商品が生まれることがあるメーカーとは異なる、金融ならではのルールやモノの考え方に目をシロクロさせていた時期だったから、まさに目ウロコだった。

 年長者=経験によって蓄積された知恵袋の持ち主。
∴上の言うことを聞いておけば間違いなし。
∴上の人には「はい」か「YES」しかない。


 「はい」か「YES」の文化に、江戸時代以来脈々と培われた「年長者を敬う」儒教の教え(というか、この教えもまさに上述のロジックがベースだ)を忠実に守る日本人の律義さが加わる。かくして多くの企業の行動規範として、21世紀の今もどっかりと居座っている。

 ロジカルに考えれば、この行動規範が有効なのは、「過去の経験」が「現在の課題解決」に役に立つという前提が成り立つ場合に限るということは、明らかである。
 21世紀以降、ITバブルとその崩壊からリーマンショック、東日本大震災にコロナ禍と、社会経済が次々「想定外」の未曾有の危機に直面している。VUCAな状況下では、残念ながら「はい」か「YES」の企業文化が機能しないリスクがあることも、明快な論理的帰結である。

 どの企業も「環境変化への柔軟な対応を」「そのためのダイバーシティ推進、イノベーションにつなげよう」と声高に叫んでいる。なのになぜか、「はい」か「YES」の金太郎飴文化はそのまま…?
 「柔軟に対応」とか「ダイバーシティ推進」というのは、アタマで考えたロジックである。企業文化は、スマートな論理を繰り返すだけでは変わらない。企業文化とは、そこで働く人たちのココロの中に浸透している価値観や信念であり、無意識のうちに言動に現れてしまうものだから。企業文化を変えるには、「意識改革」をしなければならない。

 それを認識した上で、その価値観が裏目に出ることもあると理解し、上から何か言われたら、無意識に「はい」と答えそうになる自分を「意識」して、「『YES』と従うのが賢明か、それとも勇気をもって『NO』と主張すべきか」考えるという「クセ」を新しくつけ直す。無意識を意識化することが「意識改革」である。(ちなみに、Aさんのボスは物凄い才能の持ち主なので、考えた挙句やはり「はい」か「YES」しかないケースがほとんどだったらしい)

 もちろん、「NO」と言われた上の人も、条件反射的に「この野郎、オレに逆らうのか」と言いそうになる自分を「意識」する。とりあえず、新たな企業文化を築くべく声を上げた部下の勇気を称え、「オレの指示はこの環境下で本当に適切だろうか」と胸に手を当てて考える。
 トップが、「オレはこのまま変わらないけど、キミたちは意識改革してね」というスタンスは「NO」。トップ自ら「意識する」ことが、「意識改革」の第一歩である。