同世代の知り合い会社員が、役職定年だとか本当の定年だとかいった年齢に差し掛かっている。近頃は寄ると触ると「体力が衰えた」「朝が早くなった」「モノ忘れがひどくなった」といった定番の話題でひとしきり盛り上がる。
 でも実はひとつ、大きな誤解がある。心理学の大学院の受験勉強のときに仕入れた知識を、ここでぜひ皆様に共有したい。


 「ちゃんと記憶したことを、忘れることは決してない」

 参考書によれば、記憶には短期記憶と長期記憶の2種類がある。前者は、たとえば人の電話番号XXXX-XXXXをメモ帳に書くのに一瞬だけ覚える、という類のものであり、保持時間は10~30秒(だから、こちらは忘れる)。それをメモらずに暗記して、それからさらに何度もその人に電話をする(これを精緻化リハーサルという)うち、番号は長期記憶となる。このように、一旦「長期記憶」として脳に刻まれたことは、理論上「永久的に」脳内に保持され、しかもそのような脳の記憶容量は無限だという。

 え、だって、さっき読んだばかりの心理学用語、今思い出そうとしても思い出せないじゃん。人の名前が出てこないのは日常茶飯だし、買った本と同じものが自分ちの書棚に鎮座していて呆然としたとか、あれってつまり記憶がなくなって、忘れてたってことでしょ?
 そうではなくて、脳みそのどこかにしまい込まれた長期記憶を検索して速やかに取り出すことができなくなっているだけ、というのが記憶の「検索失敗説」である。

 でもでも、どう考えたって、昔のほうが記憶力よかったよ。学生時代は一夜漬けで試験範囲の教科書丸暗記できたし、会社に入ってからも、関連部署の4ケタの内線番号、10個や20個かるく頭に入ってたのに比べたら、今は親の携帯番号さえ覚えられないし。
 そう反論する人は、胸に手を当てて考えてほしい。
 学生の頃のように、真剣に、切羽詰まって、人の名前や電話番号や小説のあらすじを記憶しようと努力していますか? 

 少なくとも今の私は、努力していない。昨年受験勉強をしながら「やっぱ若い頃とちがって記憶力が落ちたなぁ」とほざいていて、気づいたのだ。共通一次試験のときほどマジに「精緻化リハーサル」をしていないことに。十代の頃は、英単語を何回も何回も手書きしたり声に出して繰り返し発音したり、歴史の年号は「いごよく(1549)栄えるキリスト教」などの語呂合わせを多用したり、出来るだけの「精緻化リハーサル」をしていた。
 社会人になって精緻化リハーサルを要するほどの事態が激減し、長期記憶を実行する機会が減っただけのことなのだ。その証拠に、今でも研修講師の仕事のときは、1時間分のレクチャー内容を丸ごと頭に叩き込む。やればできる、のである。
 でも普段は、娯楽で読む本はおろか仕事関係の本でさえ、題名と作者と中身をちゃんと記憶しておこうなどと思いながら読書をすることはない。だから、忘れて当然、というか、最初から記憶化していないのである。

 要は、歳をとってモノ忘れがひどくなった、と思うときは、

  1. そもそも最初からそのモノを記憶していなかっただけ
  2. 覚えようとしているけれど「精緻化リハーサル」のやり方が手ぬるい
  3. しっかり記憶には刻まれたけれどうまく「検索」できない

…のいずれか、のはず。

 ちなみに、「検索」を上手にやるには、それなりの工夫が必要だ。私たちの脳はGoogleみたいに性能がよくないので、後から効率よく検索できるよう、記憶する段階で、何らかのフラグを立てるなりカテゴリー化するなりするのである。本を買ったらダイアリーに題名をメモしておくとか、積読するにしても書評の切抜きを挟んでおくとか。

 モノ忘れがひどくなったと思ったら、歳のせいにせず、長期記憶力を磨きましょう。