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 大学院は、「勉強」をするところではなく「研究」をするところである。
 もっと言えば、「先生に教えてもらう」受身の場ではなく「自分でやる」能動的行動の場なのである。(ほんっと、今更ながらこんな当ったり前のことをしゃあしゃあと書いて、ごめんなさい)

 この事実に気づいたら、とたんにオセロのようにぱたぱたと「研究」サイドが表に並び始めた。
 入学式直後の懇親会で隣り合わせた先生に、「研究計画書はどうやってBrush-upしていくんですか?」と尋ねたら、さらりと一言「自分でやるんですよ」と言われ、目が点になったけど、そういうことだったんだ。
 筑波の社会人大学院で博士号を取得した友人に、キャンパスは素晴らしい環境だから新しい研究成果ぜひ出してね、と言われ、その瞬間アタマでは「研究するんだ」と思ったはずなのに、コロリと忘れていた。
 授業よりも先に「図書館の使い方及び論文データベースの使い方講座」が開催されたのは、「素晴らしい環境」をフル活用して研究始めてね、という大学院側の無言のメッセージだったわけだ。

 そもそも、入学式の学長挨拶で「知の創造は新しい発見をすること」「社会人の皆さんの実践知を形式知にして、それをまた現場に持ち帰って実践してください」と言われたではないか。
 形式知とは、まさに研究活動そのもの。
 新しい発見をするには、まず何が既に発見されているかを知らなくてはならない。
 そのためには図書館で先行研究を検索しまくって、読み込まねばならない。
 そして、まだわかっていないこと、自分が知りたいこと、かつ解明できたら社会の役に立つこと、という条件を満たす、意味のある「問い」を、自ら立てる。
 「課題設定力」である。

 というふうに、きれいに整理して文字にするまではラクなのだ。
 問題は、その実践(汗)。

 ここで改めて白状するが、入学前後の「不機嫌」には、もう1つ重大な原因があった。
 「自由時間の減少」である。
 会社勤めでない人間の最大のメリットは時間の自由が利くこと。週5日同じ時間に同じ場所に出勤する義務はなく、平日でも仕事のアポがなければ映画や散歩や日帰り温泉、なんでもあり。海外旅行は、値段の高いGWや夏休みは避けてオフシーズンに1週間以上。
 そんな気ままな生活が、様変わりしてしまう。
 アタマではわかっていたが、いざみっちり確定している年間時間割表を見ると、どうしてもいやぁな気分が込み上げてくる。社会人大学院なので、授業は基本的に平日夜1・2日+土曜日終日程度だが、不定期の授業や集中講義が意外に多い。
 しかも、夏休みは2か月近くと言われていたのに、その期間中、グループでのヘビーな活動を伴う「特別授業」があるという。「必修ではありませんが、量的研究をする人にとっては、まあMUSTですね」と言われ、不機嫌さに拍車がかかった。

 しかし。大学院は「研究」するところ、という原則が腹落ちしたとき、腹を括った(やっぱり「アタマ」でわかるより「腹」が大切なんですね)。
 この2年間は、海外バケーション10日間コースは諦めよう。
 東京オリンピックのボランティアも断念しよう。
 苦手な「課題設定力」を振り絞って、「研究」しよう。

 ということで、入学から7週間。真夏の陽気である。
 仕事のアポのない日は、冷房の効いた(しかも膝掛け毛布まで用意されている)大学の図書館に入り浸るのが、楽しみである。