ここしばらく(たぶん数年くらい)怒ったことがない、というのが私の密かな自慢であった。

 しかし、久しぶりにやってしてしまった。


 怒り心頭ブチ切れて、我を忘れて怒鳴りまくり、手あたり次第モノを投げ、といった大袈裟なTVドラマみたいな話ではない。そういうのはもともと得意じゃないし、実際50余年の人生の中で、一度もやったことはない(一度やってみたい気もするが)。
 でも、ネガティブな感情を引きずって、気づくとそのことを思い出していて、不愉快な気持ちがぶり返す、というくすぶった状態が何日も続いた。Sxxt、どうしてくれよう。

 ポジティブ心理学は、決してネガティブ感情を否定するものではない。それは、私たちが逆境に直面したとき、逆境が自分の身に及ぼす危険の種類に応じて湧きあがり、逃げるなり闘うなりの行動、つまりFight or flight(闘争か逃走か)行動を促す役割を担っている。
 ネガティブ感情が、本当にネガティブで悪いものになるのは、ネガティブ感情そのものの虜になって堂々巡りに思い悩み(心理学ではRumination(反芻)と呼ぶ)適切な行動をとるどころか行動停止に陥ってしまうときである。

 …という基本知識を心の中で復唱しては、牛みたいに反芻するのをどうにか止めなきゃ、と焦った。このたびの「逆境」に対する「適切な行動」とは何か、一生懸命考えてみた。
 ・本件の元凶となっているA氏と再び対峙し、どういう意図か質す。
 ・本件に深く関わるB氏に会って、身の潔白(?)を証明する。
 ・本件発生時に居合わせたC氏に、「あれ、どう思います?」と意見を求める。
 う~、どれも全然適切じゃない。コトを余計にこんがらがらせるだけだ。この場合、最適な行動は、「何もしない」こと。それはわかっている。

 でも、それでは「腹の虫がおさまらない」。あ~、これだわ、これこれ。虫さんを腹からつまみ出して、ガラス瓶に詰めて川に流してしまえればよいのだけれど、おなかの中の虫さん、目下ばりばり増殖中。たとえガラス瓶いっぱいに詰め込んでも、うちの近所にはどぶ川しかないから、東京湾に流し去ろうにもうまくいきそうにない。

 いっそ、A氏を「赦す」という博愛的行動をとるのはどうだろう。この案が浮かんだ瞬間、我ながら聖人君子になれた気がして、ネガティブ感情が雲散霧消した。よしよし。 
 …と思ったのも束の間。気づくとやっぱり「胸くそ悪いよなぁ」と思い出している。精進の道のりの長さに悄然とする。

 ポジティブ心理学のプラクティショナーとして、失格である。はぁぁ。

 コトは、意外なかたちで決着を見た。B氏から電話の不在着信があったのである。
 一瞬、B氏にコールバックするのをためらう臆病な自分がいた。メールで十分事足りる話だし、「何もしない」のが最良の選択だし…。しかし、もとよりB氏は、私の心を千々にかき乱している案件に自分が関わっているとは、(おそらく)夢にも思っていない。ただ別件で連絡してきただけなのだ。
 思い切って番号をプッシュした。予想を超えて、長話になった。もちろん「身の潔白」の話はしなかった。でも、電話を切ったとき、いろんな懸念が払拭された、と思えた。
 思わず指を組んで、B氏と神様に感謝のお祈りを捧げた。ポジティブ感情の頂点は、感謝である。