男性にはよくありがちだが、やたら「道具に凝る人」、という者が、世の中には存在する(“人”という“者”という表現もヘンだが、なんかそういうふうに言いたい)。道具の使い道は、たいがいオタク的な趣味である(ちなみに「オタク」を英語で「Geek」というらしい)。

 ある人のだんな様は、「天体観測」オタクである。当然、目の玉が飛び出るほど高価な天体望遠鏡を切望した。いや、目の玉が飛び出ても買えないくらい高価なので、同じ天体観測のオタク仲間7・8人をかき集めて連盟を作り、お金を出し合って、ついに件の天体望遠鏡を手に入れたそうだ。
 その仲間たちと、空気の澄んだ山に出かけては、月のクレーターや木星の大赤斑や土星の輪っかを飽かず眺めて、色合いがどうの、光の具合がどうの、と微に入り細に入りオタクらしいコメントを交わし合っては楽しんでいた。

 ある夜、彼女はだんな様に連れられてどこぞの山にドライブした。星の観測には絶好の、きりりと空気の澄んだ夜だった。彼女はクルマを降りると、そのあたりを散歩しながら、夫が望遠鏡を組み立てて「ほら!見てみろよ!」とはしゃいだ声で自分を呼ぶのを、待つともなしに待っていた。
 ところが、待てど暮らせどその声がかからない。少し心配になって、クルマのほうに戻ってみると、組み立て途上の望遠鏡の傍らで、夫がぼーっと空を見上げている。彼女の背中を冷たい汗が滴った。も、もしや、あのおっそろしくお高い望遠鏡が壊れてしまったのでは…。連盟の他のメンバーになんと申し開きをしたらよいのか。修理代はいくらかかるんだろう…。彼女は、震える声で尋ねた。
  「ぼ、ぼぼ、望遠鏡、壊れちゃったの?」
 夫は、くすりと笑って首を振った。
  「望遠鏡なしに、自分の目で見上げてみたんだ。そしたら、今夜の天の川の、綺麗なことといったら」
 いつもの彼のオタクぶりを熟知している彼女の混乱を察知して、彼はこう付け加えた。
  「たまには、一歩引いて、大きな視点で見るっていうのも、いいもんだね」

 「道具に凝る人」に対するアンチテーゼでは、決してない。
 「視点を変えること」の大切さについての逸話である。
 物事を、肩に力を入れて眉間にしわ寄せて、きんきんに焦点を絞って、事細かに観察して分析して、微細な部分にしっかり注意を向けるのも大切だけれど、たまにはぼーっと焦点を緩めて、視野に入る限りのものをぼわーっと眺めてみると、ちがう光景が見えてくるよ、というお話。
 視点を変えること。視野を広げること。そのためには、ちょっとぼーっとしてみることが必要なのだ。

 新年早々に会った人たちの何人かから、こんな言葉を聞いた。
 「今年は少しぼーっとしてみたいです」
 「リラックスしながらも集中できると、いいですね」

 「ボーっと生きてんじゃねーよ!」という台詞が流行っているようだが、「ボーっと生きて」かないようにするには、たまに「ぼーっとする」ことが不可欠ではないかと思う。