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「お母さん、突然だけど、私が小さい頃、『人に迷惑をかけるな』って躾してた?」
日頃、ご機嫌伺いの電話さえあまりかけない娘からの藪から棒な質問を、母はカラカラと笑い飛ばした。
「そんな躾なんて、しないわよ~」
…やっぱり。じゃあ、どんな躾をしたのか。
「まあ、あえて言えば、1番おねえさんなんだから、しっかりしなさい、とは言ったかしら」
…やっぱり。あのとき、たったひとつ思い当たったのが、コレだったのだ。

しっかりすること。これが母から刷り込まれた、私の人生のテーマである。
4月9日生まれの私は、幼稚園や小学校に入る時、同級生の中で一番おねえさんだった。幸か不幸か、大学生になるまで自分より誕生日が早い同級生にめぐり会わなかった。
おかげで、この刷り込みはずーっと効力を発揮し続け、自分軸もしっかりし過ぎて、かえって人様に迷惑をかけるハメに陥った観が、なくもない(苦笑)。

おそるべし、三つ子の魂。

他の人はどうなのだろう。
気の置けない友だちの質問Aに対する反応は、示唆に富んでいた。

まず、「人に迷惑をかけない」が日本の母の典型的回答、というのを聞いた友だちの反応。
「そんなの、ありえない。ゼッタイに人に迷惑はかけるものだもの」
だから、「迷惑をかけない」のではなく、「迷惑をかけたときにどう対処するか」を、彼女は子供に教え込んだ、という。
まず、「ごめんなさい」と言う。
迷惑が甚大だった場合は、それ相応のつぐないをする。

ふぇ~、なるほど。
たしかに、決して人に迷惑をかけない、などということは不可能である。生きている限り、誰かしらに何かしらの迷惑をかけるもの。その事実を謙虚に受け止め、それに対する適切な対応の仕方を教える。
迷惑をかけないようにかけないように、そればかり考えて萎縮して、何の行動もとれなくなるより、自分の行動に責任をとる、という意味においては、冒頭の講師の「他人軸ではなく自分軸」に通ずるところがある。

その2。
件の典型的回答を聞く前に、即座に自分の教育方針を開陳してくれた友だち。
「『ありがとう』を忘れないこと!」
「それから、自分が悪かったらすぐに『ごめんなさい』と言うこと。でも自分が悪くなかったら、ゼッタイに『ごめんなさい』と言わないこと!」
これまた明快、明晰、あっぱれ。
そして、やはり「他人軸ではなく自分軸」でものを判断する、という筋が通っている。

友だちふたりの共通ワードが、「ごめんなさい」というのも、示唆的である。
それも、他人軸で条件反射的な「ごめんなさい」ではなく、自分軸を持った上での素直な謝罪。

大昔のさだまさしの「エトランゼ~異邦人~」という歌の間奏に、こんな台詞がある。
「たとえば「ごめんなさい」が素直に言えたら、こんな遠回りはしなくてすんだだろうか」
ちなみに、失恋の歌である。ふぇ~ん。
「ありがとう」と「ごめんなさい」を素直に言える人間は、必ずや愛され、きっと幸せになれるのだ。
そして、この言葉を素直に言えるには、しっかりと自分軸を持つことが大切なのだ。

 

自分軸を育めるかどうかは、親の躾しだい、かもしれない、と思う。
「人に迷惑をかけない」といいながらも、育めるときは、育める、と思う。

親の躾がなくても、育めるときは、育める、と思う。
難しいものである、が、案外難しくないかもしれない、と思う。
永遠の、禅問答である。