突然ですが、このブログを読んでくださっているアナタ、お子様をお持ちですか?
お持ちだとしたら、質問A。
「躾として、子供にしじゅう言って聞かせているのは、どんなことですか?」
お持ちでないとしたら、質問B。
「自分が子供の頃、親からしじゅう言って聞かせられたのは、どんなことですか?」

実はこれ、2ヶ月余り前にとあるワークショップで講師から投げかけられた質問。

そこで指名された、子を持つ母の一人は、見事に講師の想定通りの答えを口にした。
「人に迷惑をかけないように、ですか?」

人に迷惑をかけないこと。
どうやら、日本人の相当多くの親たちの常套句であるらしい。
らしい、というのも、残念ながら私自身は、思いもつかなかったから。私は質問Bの対象者だが、子供の頃に「人に迷惑をかけるな」と言われた記憶が、全然ない。

それはさておき、講師が言わんとしたのは、こういうことだ。

人に迷惑をかけない、ということそのものは、きわめて真っ当なことである。
しかしこれが過ぎると、人様にとって迷惑かどうかばかりを気に掛けるようになる。
では、迷惑じゃないこと、人様が期待することは一体何か、人様から期待されることをやらねば、という一種の強迫観念(?)につながって行きかねない。

そうなると、自分自身が何をしたいのか、何を求めているのか、という自分軸ではなく、人様が自分に何を求めているのか、という他人軸でしか行動を決めることができなくなる。
他人軸で行動すると、他人に承認されることが前提となり、承認されないと満足できない。
自分を見失ったまま、他人軸で生きるしかなくなり、しかも人生の満足を他人に委ねることになる。

自分軸で行動していれば、他人に認められようと認められまいと、いい意味での自己満足、自己充足を感じることができる。自分自身の価値観を大切にして、それを体現することで、満足感の高い、幸せな人生を過ごすことが出来る。

ふぇ~、なるほど。
「迷惑をかけるな」と言われたことはなくても、他人に認められることを勝手に期待して、勝手に期待を裏切られて、勝手に落ち込む、という間抜けなネガティブスパイラルを、これまで何度経験してきたことか。
ジコチューではない、健全なかたちでの、確固とした自分軸を持つことが、真の幸せにつながる。

ここまでは、大いに納得したのである。
でも、気になったのは、「人様に迷惑をかけるな」という言葉が思い浮かばなかった私は、なんと言って育てられたのか(実はひとつ、思い当たるものはあった)。
もしかして母はちゃんと「人様に迷惑をかけるな」と言い含めていたのに、ジコチューな私の記憶からすっぽり抜け落ちていたのではないか。

懸念を晴らすため、私は母に電話をかけた。

                               ・・・(下)に続く