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先に紹介した日経ビジネスオンラインの記事をごく簡単に要約すると、

  • 脳梁の太さといった形態上の性差はない
  • ただ、脳内のつながりの強さには「統計的に有意」というレベルで性差がある
  • だからといって、「女性はマルチタスク」「男性は人の話を聞かない」という単純化はできない

ということ。おっしゃるとおり、人の性格や行動は個人差千差万別。

 

それなのに、記事のタイトルじゃないけど、「男脳」「女脳」のウソはなぜ、拡散するのか。

それは、私みたいに単純なヤツが吹聴するから…。ゴメンなさいm(_ _)m
・・・という懺悔はしばし棚に上げて、と。さて、なぜ拡散するのか?
なぜなら、「ちがう」と思ってしまったほうが、ラクだから、ではないか。

 

「同じ」なのに、分かり合えない、というのは、なかなかつらいものである。
同じ価値観を抱いて、同じ夢を分かち合って、一緒にシアワセになろうね、って誓い合ったのに、なんでこうなるの!?という憤懣、既婚者なら誰もが1度ならず抱いたことがあるだろう。
そんなとき、「オトコとオンナは“脳”の構造が根本的にちがうから」と言われると、「あ、やっぱり、そっかー。そうだよね」で、なんとなく溜飲が下りる。そもそも脳みそがちがうんだから、仕方ないよね、と諦めがつく。
こうやって自己説得をすることは、それなりに有用だと、個人的には思う。

 

しかし、諦めただけで終ってしまったら、ケッコン生活はもちろん、人間関係全般、立ち行かない。大切なのは、ここから先だ。
「ちがう」という前提に立って、いかに相互理解していくか。100%は無理でも、最低限「ここだけはわかってね」というキーポイントを特定し合い、それに対して、お互い合意(Agree)はせずとも、受け入れる(Accept)。それも無理なら、自分とはちがう考え方もあるという事実を、認める(Acknowledge)。

 

脳や身体の構造といった科学的な意味はさておき、フィーリングとして「男女はそもそも別の生き物」という一種の諦めから出発するほうが、「男も女も同じ人間なんだ!」という幻想(いや、まあ、幻想でなく、同じ人間なんだけどね)からスタートするより、この相互理解のプロセスが相対的にスムーズにいくのではないかと思う。
こうした相互理解のプロセスを試行錯誤した末、究極的には、なんだかんだ違いはあるけど、やっぱり「同じ」だよね、と思える関係が築けると、いいと思う。
「同じ」という部分に、どんな考え方・価値観を据えるのか、その結節点は、それぞれの人間関係によって様々だろう。

 

もちろん、最初から「同じ」であるに越したことはないのかもしれない。同じである(と思う)ことの安心感は、やはり捨て難い。みんなおんなじ、という均一的な環境に身を置いているほうが、ずっとストレスなく自分らしく、素のままで振る舞うことができる。
そこに一人「ちがう」者が闖入すると、皆の心が乱れ、環境が変わり、生態系のバランスが崩れる。「同じ」者どうしでタグを組んで、「ちがう」者を排斥しようとするんだよね。

 

はい、これ、何のこと言っているか、おわかりですね。
自国のコトバを離さず、異文化の習慣を持つ移民を排斥するどっかの国もそうだけど、男性中心だったニッポン株式会社という社会への、女性進出。
あー、また、いつもの話題だぜ。そう思った殿方、申し訳ありません。
でもだって。。。

             ・・・(下)に続く