先日。
友達との「友達」をやめました。
言い出したのは私から。
滅多な事ではそんな事はしないけど、たぶん、これは必然だったんじゃないかな。
と、今は思ってる。
きっかけ…と言うより、今回の事より結構前から、嫌われてたのかもしれない。
中学で転校した先で会って、話すようになった。
私は不登校の問題児だった。
きっかけは転校した事。あと、元々朝に弱くて起きれなくて、結果的に遅刻する。
遅刻すると、教室に入っていきにくい。
行きたくない。休みたい。
布団から出ない日々が続いた。
つまり、自分勝手で不登校になった。
まあ、小学三年で転校した時に、教室前の廊下で立ってたら、冷やかされたのも嫌だったのもある。
そんな感じで、中学に上がったら不登校が酷くなって、登校拒否児となった。
そんな私に話しかけてくる人はソコソコ居て、その中の一人が今回、友達をやめた子。
生まれつき少し体に若干の障害みたいなものを抱えてたけど、それはあまり気にならない程度に普通に話してた。
本人は気にしてたし、私も理解出来ないで傷付けていたかもしれない。
今となっては聞けないけど。
友達をやめよう。
と思うきっかけになったのは、価値観。
だと思う。総合すれば。
私は小学校高学年になってから、犬を飼い始めた。
親に尻を叩かれながら、初めての動物飼育で、テンヤワンヤになりながら世話をした。
夜になると、人の気配が近くに無くなるため、頻繁に鳴いては、私が玄関に寝ると言う事もあった。
大きくなると、中型犬のくせにやたらと力が強く、運動神経も良すぎて、何本も鎖や首輪を壊して逃亡。
呼べば走って帰ってくるし、首輪も素直につけさせてくれるし、賢い子ではあった。
ケンカっぱやくて、逃亡する度に種まいて来るのだけは、流石に頭を抱えたけど。
私が、その犬の世話をご飯以外、散歩もたいしてしなくなったのは、中学に上がった一学期終わりに、転校が決まって引越ししてから間もなくだった。
家庭事情がよろしくなく、特に父の借金で人間不信になっていった頃だった。
祖母の家に引っ越したけど、前は玄関の中に入れてやれた犬は、絶対に外で飼うようにと祖母から言い渡されたから、完璧な外犬となった。
同時に、私は家から出るのが怖くなっていった時期で、祖母の目を盗んでは、犬を玄関まで入れて抱きついていた。
人が怖い。学校も嫌。祖母も苦手。借金取りは嫌い。
私の中では、まだ小学生の妹より、勝手に県外の大学に行った兄より、仕事で忙しい母より、一番傍に居た存在だったのが、犬だった。
外に出るのは怖い。でも散歩に行かなきゃ。
だけど明るい今は嫌。でも掃除しないと。
外は嫌だ。でも面倒みないと。
外には出たくない。散歩に行かないと、気が狂うかもしれない。
どうしよう。どうしよう。
そんな事を毎日考えながら、私は次に、家に居着かなくなった。
遊びに行ける友達の家に、ギリギリまでお邪魔したり、外で立ち話をしたり。
帰れば喜んで飛びつく犬を撫で回しながら、罪悪感で泣いた事もあった。
その頃の私にとって、家は地獄の様な場所でしか無かった。
そんな事をしているうちに、犬は鎖を引きちぎり逃亡を繰り返し、その度にエサとリードを持って探し回って、名前を呼んでるうちに走って出てきて、それを捕まえてまた繋ぐ。
これを繰り返す様になって、何年目かの夏近く。
脱走したきり、帰らなくなった。
近所を聞き回って、近くの国道でそれらしい犬がひかれて死んでいたと聞かされた。
確認しに行きたいと言ったら、母が反対した。
後日、母が確認しに行った事を知ったけど、私には見せられない程、酷い有様だったらしい。
帰らなくなった犬の小屋の周りは、世話として常識の、糞の処理がされていなかった為、引きちぎられた鎖と小屋周りの汚さに、後悔ばかりして過ごした。
普段は忘れて、夜には泣いてる事もあって、不安定な私を母が叱ってくれた。
後悔が先に立つことはない。
でも、後悔するかもしれない。と、予測は出来た。
それが、一番私を苦しめた。
犬が死んで、間もなく。
家は更に酷いことになって、現在住む県に引っ越す事になった。
私達家族は全員で、犬を大事にしなかったからだろう。
そう言い合った。たぶん、それは間違ってない。
そんな事があって、数年後。
私は猫を迎えた。引越したこちらでも家の状態はあまり良くなく、私は中卒で働き始めた。
猫を飼い始める前に、猫を飼っている会社の先輩にアレコレ聞いて、飼育の仕方を学んだ上で飼いはじめたけど、去勢と避妊をよく分かってなかった事が災いして、気付けば10数匹の多頭飼いに。
妹も捨て犬を拾ってきて、姉妹でテンヤワンヤ。
後に、オスだけ去勢して増えるのはおさまったのに、最終的に私が飼ったのは27匹。
多頭飼育崩壊しなかったのが不思議なくらいでした。
収入がしっかりあったから養えた訳ですが、27匹中、ウチで生まれたのは10匹。そこに親猫と兄弟猫入れて14匹。その他13匹は、野良がうちに居着いて、近所からうちの猫だとあらぬ疑いをかけられてからです。
痩せこけて、うちの駐車場の隅に居た子や、ご近所からいきなり箱を押し付けられて、見たら猫が入っていたなど色々な経緯で頭数が増えました。
そんな子達も、元気になって外に逃げて、立派に野良猫になったり、病気の為に長く生きられず、元気になっても二年程度で亡くなる子も居たり。
今現在は、四匹です。
そのうち、二匹は自分の意思で新たに迎え、一匹は母の仕事場でウロウロしていて危険だと言うので、母の了承のもと保護しました。
そして一匹は…初めて飼った猫の最後の血筋です。
数年前に、22年、老衰で逝った子が一番最初に迎えた猫でした。
ただ、私はここまで生き物を飼ってきて、ペットロスになった事がありません。
ペットロスになっている暇が無かったからとも言えるかもしれません。
だからかもしれないけど、ペットロスそのものを理解しきれない。
理解したいけど、理解する機会はあったけど、私の中にそこまでの感受性が無いからなのか…
ペットロスになる事は、凄く可愛がっていた一番最初の猫が亡くなった時もならなかった。
ペットロスは、多分だけど「依存」や「愛情」の大きさに関係するんだと思う。
私は、自然は自然にあるがまま。と言う考えがあるので、どこまで頑張っても引き止められなかった命は、それが自然だったんだと思ってます。
全部ではないです。
むしろ、自分の飼育の仕方や飼育環境が悪かった事が原因であれば、それはやっぱり私が悪いのだから自然とは程遠い。
なら、死んでしまった子を悼んで毎日毎日泣き暮らしたり食事が出来ないのが、真の飼い主か?と言われたら、やっぱり何か違う。
いや、飼い主を決めるのは飼育されるペットの方だから、私達飼い主は、自分勝手に飼うことを決めてる訳だし、ペット側からしたら仕方なく飼い主と認めてるだけかも。
まあ、こんな事をうんうん考えたって答えは出てこないとは思うんです。
ペットロスがいけないとは言わないし、なる人がいるのだから仕方ない事だと思うんです。
ただ、ペットロスにならない人を「信じられない」と糾弾するのは、おかしいと思うんです。
ペットロスにはならなかった。
でも、可愛がってなかった訳でもない。死んだ姿を見て悲しくなかった訳でもない。もっと何かしてやれたんじゃないか?と思わなかった訳じゃない。
ただ、悲しみと生活しなきゃならない現実を、不器用ながら何とか安定させて実現させているに過ぎないんだと思っています。
だって、どんなに悲しくても、どんなに後悔しても、自分は死んだ子の為もしくは誰かの為に、生きていかなきゃならないんだから。
間違っても、ペットが死んだから自分も死ななきゃとか、生きてる意味は無いとか、ペットを理由に自分の「死」を口にするのは、死んだペットを蔑ろにしている気がするから、やめてほしい。
死にたいなら、嘘でも違う理由で死にたいと言えばいい。
ペットが愛した飼い主の自分を、粗末に扱う姿を見るのは、死んだペット達をどれだけ苦しめるか。理解してほしい。
最後に。
私はその友達に、ずっと冷たかったし、酷いことも言ったし、キツい事も言った。
今回の友達をやめるきっかけになったペットに関しての考え方も、押し付けてしまったし。
でも、私の心もまた、その友達には分からなかったんだろうと思う。
私が、絶交してからも心配してる事は、きっと偽善にうつるんだろうし。
だから、多分お互いが、お互いを知らなかったんだと…今なら分かる。
これに関しては、これでおしまい。
私は私の道を見据えて、進んでいくしかないんだから。