「きみにはわからないかもしれないけど。」


そんなことを言ってしまったら元も子もないだろうと

溜息をつきたくなるのをこらえながら

「努力はしているんだけどね」とちいさくつぶやいた。


わからないのは、どっちもどっちなんだから。


もちろん、そのことをあなたも承知で

互いに互いをつかめないもどかしさのなかもがくのにも

少々疲れてきて、というか飽きてきて

半ば投げ出してしまいたくなるときも

ないわけではないのだろう。


無論そう思うのは

私自身が同様に感じることがあるからのこと。


それでも「わからないだろう」と決め付け

切り捨てるまでには至っていないこの人の優しさを思う。



為す術もなくぼんやりと風に砂埃が舞う午後の雑貨屋を眺めていると、ゆっくり隣が立ち上がった。


「あの山に行こうか。」


ぼんやりとした目で、薄弱な光を背に立つ姿を見上げる。

振り返って指された先に目をやると

遠くの方に雲をかぶった

出来損ないのだるまみたいな起伏が見えた。


YESともNOとも言わず

その丸みを帯びた緑の輪郭を目でなぞる。


あそこに何があるんだろう。


そもそも、ここにだって、これまで来た場所にだって、

何かがあったわけじゃなかったけど。



あなたが言う、私にはわからないものとは何なのだろう

あなたは果たしてそれを理解することを私に求めているのだろうか。

どうしてあの山に行くのだろう。

そもそもここはどこだろう。



定まらない目で立ち上がらない私に、いつものように手を差し出す。


「ほら。立って。」


ここはいったいどこなんだろう。

私はどうしてこの人といるのだろう。

私はどこでこの人と会ったのだろう。


「また何かに耽っているのか?それはいいけど、足元だけは気をつけるんだよ。」


私はちいさくひとつ頷いて、彼の隣りを静かに歩き始める。



”困ったらYESと言うんだ。”

いや、”旅先での出会いの場では”だったっけ?

そのことは誰が教えてくれたんだっけ。


カラフルなスカートをまとった、母親くらいの女性とすれ違う。

あの人はどこの国の人だろう?

そもそも、私の隣を歩くこの人は、どこの国の人だろう?


ほんのしばらくのつもりで始まった旅の日々に

絡め取られたのはいつからだろう。



黒い煙を巻き上げながら

古びたバスがけたたましく真横を通り抜けていく。


煙たさを気にせず大きく息を吸い込み

ゆっくりと吐き出す。


その糸は時に強固に目の前を眩まし

いたずらのように行く手を遠ざけ

でもそう思ったのは私の思い込みで

実は私は一本道をまっすぐ進んでいるのかもしれない。



寡黙に歩を進める隣の、澄んだ青い目を見上げる。



「きみにはわからないかもしれないけど。」

 

これは本当にあなたのことばだったのか。

それとも私の声だったのか。



異国の冬空の太陽の下

乾いた二つの足音が

やけに心地よく耳に響く。