父の旅立ち | マイナスをプラスに変えて自分らしく輝く人生を

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人生っていつ何が起こるかわからない
だからこそ今日一日を楽しもう♬

夫婦でキャンピングカーに乗って
たまに出張サロンもしています♡

マイナスをプラスに変えて

私らしく自由に生きる

サロン☆パレット なおみんです

 

はじめましての方へ

私のプロフイール

 

 

 

 

今年のゴールデンウィークは

最初からいつもとは違っていました。

 

 

毎日スケジュール帳を確認しないと

明日の予定も把握できないような

例年にはないような予定が日替わりで入っていて

 

 

ハピクロコンサートのスタッフ打ち合わせ

父親の施設へ面会

「あわフェス」イベント参加

「パレットセラピー」サロンのお客様&娘孫達お泊まり

家族全員集合庭でピザパーティー

最終日は掃除や片づけ

 

 

そんな怒濤のゴールデンウィークが終わり

 

さぁ今日からゆっくりブログを書いていこう

 

と思った8日の早朝

 

 

父親が旅立ちました

 

 

 
 
一年半前に二度目の脳出血で倒れてから
緊急手術で病院→施設へお世話になり
 
言語を司る脳の部分がダメージを受けて
それ以来全く言葉を交わすことができなくなった父
 
 
亡くなる二日前から吐血したと連絡があり
もう時間の問題なのかと
いつでもすぐに駆けつけられるように準備をして
 
施設の方と連絡を取りながら
夜はすぐに電話に出られるように枕元にスマホを置き
眠りも浅くずっと落ち着かない時間でした。
 
 
息を引き取ったと連絡があったそこからは
日常とかけ離れたあっという間の三日間でした。
 
 
生前 父は
 
俺が死んだら葬式はみんなで飲んで騒いで
音楽をかけて楽しくやってくれ
 
俺の葬式は音楽葬にしてくれな
 
と言っていて
(それを聞いていたのは私だけだったらしい)
 
 
絶対に好きな音楽をかけて
見送ってあげようと決めていました。
 
 
 
実際面会に行った時も
最初は目を閉じていたのに
好きな音楽を流してみたら徐々に目覚め
 
まばたきで合図をしたり
目で姿を追ったり
うなずくような動作があったり
時には涙ぐんだり
 
音楽の力ってやっぱりすごいなって感動でした。
 
 
 
もうそんなに長くないとわかってからは
事前に葬儀会館も決めて
音楽葬ってどんなものなのか問い合わせて確認したり
 
事前に父の好きだった曲
私との思い出の曲
全部のプレイリストを作り準備しました。
 
 
いつどうなるかわからない状況になってからは
 
まずは
私たち夫婦の結婚40周年旅行
無事行かせてくれてありがとうね
 
その後何か行事や予定が終わる度に
これも無事済んだわ~よかった
 
そこから一ヶ月以上もってくれて
お父さん意外に生命力あるんだね、と思ったり
 
 
最後に面会に行った時は
手を握ったら力強く握り返してくれて
なかなか離さなかった
 
そんな力があったんだねと驚いたけど
あれが最後だとわかっていたのかな
 

 

 

 

体がどんどん細くなっていき
それなりに覚悟はできていたけど
 
私自身は身体の不調や痛みなど
ずっと緊張感が続いていて
 
特に父が吐血してからは
突然足の甲が赤く腫れて熱を持ち
どんどん痛みが強くなって
(調べたら膠原病の症状としてあった)
 
このままでは靴も履けないわ
どうしよう~と痛みをこらえて
足を引きずっていたのだけど
 
それもお通夜の日がピークで
お葬式を無事終えた今朝は
痛みも腫れもだいぶ引いていました。
 
身体って不思議だね
 
 
 
お通夜のあと
父と最後の夜は
身内が大勢集まり飲んで食べてまるでお祭りのよう
 
父の妹4人のご夫婦には(私にとってはおばさん達)
昔からとても可愛がってもらい
なつかしい話がたくさんできました。
 
 
その夜は娘や孫、お婿さん総勢7人が泊まることになり
遅くまで盛り上がっていたようで
きっと父も喜んでいたでしょう
 
そこでも父の好きな音楽を流して♪
 
まさしくお父さんが望んでいた通りになったね
 
 
 
みんなが父へ向けて書いたメッセージの色紙は
 
できるだけたくさんの人が手を添えて
心に届くよう裏返して棺に入れてあげてください
 
ということでそっと置きました。

 

 
 
出棺の時、私が選んだのは
アリスの「さらば青春の時」
 
 
その曲を聴きながら
初めて骨壺を持ち先頭を歩きました。
 
車の中で大事に抱えるわたし
 

 

 

火葬場でいよいよ最後のお別れの時

 

ボタンを押す人どうしますか?

誰もいなければ

係の人が押しますってことで

 

弟二人が拒否したら

なんと二番目の孫が「押します!」

 

おー!すごい度胸やなと


まぁ最後の面会も

一人ついて行き手を握ったしね

 

突然亡くなった母の時とは全然違い

色んな場面で笑いの起きることが多かった気がする

 

 

 

ここまで書いていまさらだけど

私と父との関係は複雑で決して良かったわけではなく

むしろ最悪と言ってもいいくらい

 

それについては今後書けたら書こうと思うけど・・

 

 

でも不思議なもので

言葉を交わせなくなった頃から

いい思い出しか浮かんでこないんだよね

 

 

とにかく音楽が大好きなこと

食へのこだわりが半端なかったことは

しっかり受け継いでいる私

 

 

 

最後に会って言葉を交わしたのは

2019年のお盆

 

 

いつもは兄弟夫婦と父との会食が

この時は娘達も参加することになって

 

その時の娘三人との貴重な一枚

 

 

 

寝たきりになっても肌つやがよく

とても83歳にみえないと

湯かんをしてくださった方も驚いてみえました。

 

 

私がずっと持ち続けていた怖いイメージではなく

お父さん、こんな笑顔をすることがあるんだ~と

 

遺影写真は絶対にこれにしようと決めていました。

 

 

 

 

おとうさん

 

あちらの世界では

好きな音楽を聴いて

好きなだけお酒を飲んで

楽しくやってね

 

たくさんの思い出をありがとう♡

 

 

 

 

 

特別価格しばらく続けます

 

 

 

 

 

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