今日は少し寒い・・・・
相変わらず仕込み図を書いています・・・・
今週末の仕事ですが、
進行表を書いていて仕込み図に書き忘れがあることに気づきました。
それで朝から書き直し・・・・
ひとつ書き直すといろいろ他にも書きなおしをしなければならなくなります・・・・
今日はこれから銀河鉄道の夜の芝居の中での
身体表現を考えていく上での相談をする予定です。
空間を役者の身体表現で表したいと思っているのです。
明日がいよいよ稽古の始まりになります。
ところで、昨日、旅の話になりました。
例えば北海道に行くのには様々な方法があります。
ぱれっとで北海道にいく時は今は八戸まで高速道路を走り、
22時ころのフェリーで苫小牧へ行くのが定番です。
そのフェリーだと苫小牧に6時に着きます。
下船したら港の道を通って苫小牧漁港の食堂に直行するのがお約束です。
仙台からフェリーに乗っていた時もありました。
昔割引があって安く乗れたことがあったのです。
快適なフェリーでした。
北海道へ行く方法としてぱれっとでは使っていませんが、
新潟まで行き、そこからフェリーで小樽に行くという方法があります。
それだと小樽に朝4時ころに着くそうで、
8時まで船で寝ていていいそうです。
父がたまにそのルートを使っていました。
すると東京の知り合いから飛行機で行った方が安くて速いのに、
と言われるそうです。
船乗りだったからかなとも言われるそうです。
確かに船は好きらしいのですが、そうではなく時間をかけて移動することを
楽しみたいのだそうです。
僕もできたらその方がいいのですが、
いつも急いでるかな・・・・
国内線の飛行機に乗って高速道路を見ると、
高速道路を車を運転している方が楽しいような気がしてしまいます・・・・
快適さと速さは間違いなく飛行機なのですが・・・・・
大学生が、新幹線より高速バスの方がいいといいました。
親父もまたバス派でした。
値段の問題ではないのです。
そんなことを話していて思い出したことがあります。
昔、御巣鷹山に日航機が落ちたニュースが流れた時、
僕は上野駅にいました。
夜行の急行八甲田だったかな?に乗っていました。
(確かその頃の夜行列車には八甲田というのと十和田というのがありました。)
ボックス席は一杯で、通路にみんな新聞紙を敷いてそこに座る・・・・
130円の切符だけで乗ってきていた女の人がいました。
唐突に田舎へ帰ろうと思ったそうです。
廻ってきた車掌さんからその場で切符を買っていました。
そういえば昔は車掌さんから列車の中で切符を買うと
縦長の紙の切符を書いてもらったものでした・・・・
知らない人どうしなんとなく会話を普通にしていました・・・・・
それこそ、隣のおばさんからミカンを貰ったり・・・・
そんな時に窓の傍にラジオを置いていたおじさんが、
「おい、飛行機が落ちたって!」
と叫んで、その列車に乗っていたみんなが、ラジオに注目したのです。
誰かが、
「貧乏でえがった」
と言っていたのを覚えています。
混雑してたけど、列車の中は知らない人だらけだけど、
なんだか家にいるような感じだったのです・・・・
昭和の風景ということでしょうか・・・・
列車は最初は電気機関車で途中からディーゼル機関車が牽いていた気がします。
八戸まで8時間?くらいだったかな・・・・
座席は固く、それでも床に新聞紙よりマシだった・・・・・
親父が、夜行バスの運転手は二人で一人はバスの下の荷物室の奥に運転手用の
仮眠場所があると言っていました・・・・
それは知らなかった・・・・
今もそうなのかなぁ・・・・
今は長距離を電車で移動することはほんとうになくなりました。
寝台車なんて今はほんとうに高級になってしまった・・・
もちろん若い時だって寝台車は夜行列車より高級で、
乗るのは楽しかった。
滅多に乗る機会はなかったけれど、ワクワクしたものでした。
新幹線・・・・便利だけど・・・・
初めてひかり号に乗った時は感動したけど
(あれは小学校2年生くらいでした。熱海かどこかへ行ったのです。
食堂車も楽しかった・・・初めてホワイトアスパラガスを食べてまずいと思ったのを覚えています・・・)
今は新幹線にワクワク感はありません。
大人になったということでしょうか・・・・
むしろ鈍行列車で移動したい・・・・
人はない物ねだりをするものだからかもしれませんが・・・・・
それとも年を重ねて古きを懐かしんでいるのか・・・・
それとも血筋なのかな。
父もまた、新幹線も飛行機も仕事で使ったけど、バスや列車、フェリーと、
時間はかかるけれども移動を楽しめるものが好きで、仕事であってもできる限り、
そういう交通手段を選んでいたのだとか・・・・
交通手段・・・・
銀河鉄道も交通手段と言っていいのかな・・・・