お母さんに会えなくて | PattySide

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昨日、お母さんと会えなくなって
12年が経ちました。

成人性T細胞性白血病という病気だったんだけど
余命1年だと言われ

まだ小6だった弟と23才の妹と51才だったお母さんを引き取り、

弟は転校して
妹は仕事も辞めて


毎日、面会時間いっぱい一緒に過ごしてた。


お母さんが余命1年だと言うのを知ってるのは、

わたしと妹と主人(元やけど笑)
だけ。


お母さんに
後1年で死ぬねんで…って絶対言えなくて


口に出すと本当になりそうで怖かった。

現実から逃げてたのもしれないなぁ、、

告知、、

、今でもほんまに
内緒にしてて良かったんかな?と思うねん。


子供たち

長女は3年生
下2人は幼稚園


学校が終わったら
長女と弟はランドセルを置き毎日、病院で過ごしてた。


1年ちょっと

退院して、旅行にも行ったし、遊びにも行ったし家族が多いから誕生も何度も一緒にお祝い出来た。

イベントがあると
あ、、お母さんとは最後なんやぁと何回も思いながら

写真もいっぱい撮った。

退院して、お母さんも前の職場に働きに行ったり
このまま
元気になるん違うかな?って何回も思ったし
願ってたけど、

やっぱり、どんどん
退院と入院の間隔が短くなって
入院生活が長くなって


髪が抜けたり
痩せてきたり


体を拭いたりするのは
妹がしてくれて


わたしは笑い担当。


ある日、カーテン越しに体を拭いてる妹を見た時本当に凄いなぁと

わたしは先生の話も聞きたくないし、


本当に弱い人間やなぁってその時、実感して

今も現実逃避する所が短所かなぁと思ってる


全然ポジティブじゃないねん。


お母さんの死に目会えなかったねん。



死ぬ時そばにいてあげたいと思うけど


早朝、1人でいなくなったのは


お母さんの最後の優しさやったんやなぁって
思ってる。


みんなで病院に行ったら枕元に血が、、


病院の人は眠るようにって言ってくれたけど


きっと苦しんだんやと思うねん。



でも、病院の方やお母さんの優しさで


思い出すのは
お母さんの笑ってる顔やねん。



離婚はしたけど
楽しく暮らしてるのを見てくれてると思うねん。

だから毎日笑うねん。


生きてる間に
親孝行してなぁ(*^_^*)


って言うか
親孝行してほしい(笑)



お母さんが天国で見てるし



まだまだアルバムは
12年前から
止まってるし、見る事も難しいけど


ほんま弱いなぁ
わたし><


でも


笑うでぇ
楽しく生きる(*^_^*)