ネイティブアメリカン居住区で生まれ、アメリカMMAの歴史に重要なターニングポイントを齎した「タチパレスMMA」

良いタイミングに恵まれ、ついに歴史を一本に纏めることができました~✨

 

『Tachi PF(タチ・パレス・ファイツ)』&『Palace FC(パレス・ファイティング・チャンピオンシップ)』歴代王座遍歴

 

MMAが生まれる段階であった2000年代初期は、州コミッションの管轄から離れたネイティブアメリカン居住区でMMA大会が開催されていました。

タチ・ヤクート族が所有する「タチ・パレス・ホテル&カジノ」でも2001年からMMAプロモーションが創立されました。

そのプロモーションは、のちに世界のMMAにおける「軽量級」の歴史を大きく変えた存在。

そう、『WEC(ワールド・エクストリーム・ケージファイティング)』です。

 

『WEC』が「青いケージ」になる以前の時代、元々はネイティブ居住区のタチ・パレスで生まれた…というのは、意外と日本で知られていない事実です。

WECが日本で有名になったのが、運営権がタチ・パレスからZUFFAへ引き継がれた後だったから、というのが大きな理由なのかな?と思います。

2006年にZUFFAへWECが売却された後、タチ・パレスでのMMA大会を継続するため、当時のイベントプロデューサーであったクリスチャン・プリントアップが代表となって新たなプロモーション『PFC(パレス・ファイティング・チャンピオンシップ)』が誕生しました。

 

プリントアップはMMAに独自の未来を夢見た人物で、ケージではなくリングのMMAが発展することを予測し、更に試合時間を3分×3ラウンド制にするなど意欲的な試みを行いました。

プリントアップの予測した未来は来なかったものの、PFCで才能を見出されたチャド・メンデスマイケル・マクドナルドジョセフ・ベナヴィデスたちカリフォルニア州の若き選手たちは、その後のWECやUFCで大活躍をしていくことになります。

 

カリフォルニア州のMMAの強さ、そしてネイティブアメリカ系&ラテンアメリカ系の選手が軽量級に多かった背景には、PFC等の軽量級の先駆的なMMAプロモーションの影響があったのだな~と改めて思わされます。

 

2009年中頃、プリントアップはタチ・パレスのイベントプロデューサーを退任し、PFCも同時に開催が終了します。

タチ・パレスはさらにMMA開催を続けるため、ネイティブ居住区のMMAプロモーターとして経験豊富なテッド・ウィリアムズの協力を得て、三代目のプロモーション『TPF(タチ・パレス・ファイツ)』を創立させたのでした。

 

TPFは、それまでのタチ・パレスMMAの集大成ともいえるプロモーションであり、PFCでも特徴であった「MMAフライ級」の躍進を大きく後押ししたことが、今日のMMAの歴史においても大きな転換期を迎えることになりました。’

WECがMMAフェザー級とバンタム級の頂点であったように、UFCがフライ級を創立する以前の時代は、TPFが「世界のMMAフライ級の最高峰」でした。

 

象徴的な存在であったイアン・マッコールジュシー・フォルミーガを筆頭に、のちのUFCフライ級へと繋がるトップ戦線がTPFで築かれました。

日本からも日本軽量級の雄、山口守(マモル)がTPFへ参戦。

 

山口守vs.ジュシー・フォルミーガのトップコンテンダー戦(↑で観られます!)は、日本MMAでも語り継いでいくべき、大いなる挑戦であったと感じます!

上記の動画を観てもらえば分かりますけれども、かなり独特で唯一無二なデザインのケージを使用していたのも、TPFの印象的な魅力でしたね~。(途中で普通の6角形ケージになってしまいましたけれども;)

 

そんな級旧WEC~PFC~TPFと三代続いた「タチ・パレスMMA」も、2018年を最後に18年間の歴史にひとまず終止符を打ちました。

 

「軽量級MMAの聖地」タチ・パレス・カジノにて「UFC 249」は開催されるのか。

↑の通り、UFCがパンデミック期にタチ・パレスで開催される、という話もありましたし、今後タチ・パレスでMMAが開催される可能性はあるとは思いますけれども…

 

まずは、世界のMMA軽量級に与えた大きな功績に、感謝をさせて頂きたいです!!✨