今回はK-1、正道会館の話です~。

 

正道会館は創立当初は「正道館」という名前で、葦原空手出身の石井和義によって1980年に創立されました。

 

正道会館は新参時代からフルコンタクト空手の「他流試合」に積極的に参加するも、大会ごとのルールの違いにより判定で勝ちきれないことが多かったといいます。

それを解決する為に生まれたのが「相手をこかす&倒す」ことに特化した「完全決着」思想であり、その思想を体現する為にレッグスイープ(足払い)とカウンターの技術進化が進みました。

正道会館の「完全決着」思想とは、アウェイで勝つ為の反骨の精神から生み出された進化であり…それは現在のK-1にまで強く受け継がれる「倒すK-1」思想の源流となっていると感じます。

 

1991年~1993年というヴァーリトゥード伝来直前の過渡期に生まれたK-1は、同じ時代に生まれた新空手やRINGSと歩みを揃えながら「究極の格闘ルール」を模索しました。

その試みは平直行、西良典、市原海樹といった見果てぬMMA…究極の格闘を求めた流浪の選手たちを引き寄せ、先進的であった彼らは1994年以降のヴァーリトゥード全盛時代とはまた異なる道を歩んだ「特異点」となりました。

 

2000年代にヴァーリトゥードから生まれたMMAが確固たる姿を現すなかでも、K-1はPRIDEの顧問であった"アントニオ"猪木寛治との繋がりの中で「他流試合」へと邁進し・・・ミルコ・"クロコップ"・フィリポヴィッチというMMA史上最高峰のストライカーが誕生する原動力となりました。

 

K-1はPRIDEを離れた和術慧舟會の選手たちの活躍の舞台となり、フリースタイルレスリングや柔道出身の優れた才能を発掘しました。

そして、山本徳郁という力強い開拓者によって遂に「K-1 MMA」の道は切り拓かれ…HERO'Sが誕生するに至るのでした。

 

激動の時代に生まれた正道会館のスタイルは、MMAを観るマンにとっても興味深いポイントが多いです。

相手の蹴りに合わせて奥脚を蹴り込み「こかし」によって主導権を握るレッグスイープ(足払い)。

腰のベースを残したまま、膝下からの旋回のみでパワーを生み出すローキック。

ローキックを牽制とし、相手の反撃を誘発させてから放つカウンターのクロス(ストレートパンチ)や、クロスをフェイントにして撃ち込まれるミドルキック。

これらは現在のMMAの打撃戦においても多く観られる、汎用性の高い技術であると感じます。

最近のUFCのシャーリズ・オリヴェイラやマルロン・ヴェラの闘い方なんかほぼK-1ですからね~。現代の最高峰のK-1体現者たちですね(ちがう)

 

現在のK-1は既にMMAとは別の道を歩んでいますが、その源流がMMAに齎した多様性のある発展は、今日にも強い影響を与えていると感じます。

もうすぐ30周年を迎えるにあたり、K-1におけるアルティメットなファイトたち…日本MMA前史における「特異点」の歴史を振り返ってみたくなったのでした!

 

MMAが生まれる以前の模索の時代、その歴史の一端が少しでも伝われば幸いです✨