<プロフィール>
 
 
◆高橋かずえ(カエル姉さん)
心理カウンセラー
心屋塾認定講師
セミナー講師
 
1970年 東京生まれ。
金融機関等にて20年以上の会社員を経験。
その後、独立起業をして株式会社を設立し経営者に。

その際に自身の人間関係の問題に気がつき1年で挫折、廃業を経験する。
心理学に興味を持ち心屋塾の門を叩いて心理カウンセラーの道に進む。

現在は、埼玉県を拠点として多数のセミナー活動とカウンセリングを展開している人気カウンセラー。

クライアントの悩みに寄り添いながらも持ち前のキャラクターを活かし、スッキリ後味よく楽しいカウンセリングをすると評判。
ブログでも、その才能を発揮する。

その他、自らが主宰するカエル塾では心理カウンセラーの育成にも力を入れており、後進の指導にも定評がある。

<公式ブログ>

https://ameblo.jp/pakupaku-kazupi/

 
<心屋塾に辿り着くまで>

 

わたしが心理学に出会ったのは40歳を過ぎてからでした。
それまでのわたしは、自分のことを何の問題もなく
家族や友人にも恵まれて、そこそこ「普通」の人生だと思っていました。
そして、心理学を学ぶ人へ偏見さえ持っていたのも事実です。
 
 
 
努力やがんばることは当たり前で
苦労をしてこそ欲しいものは手に入る。
そう信じていたわたしは、今思い返すと
わざわざ苦しい道を選んで来たのかも知れません。
 
 
 
最初の壁にぶつかったのは35歳の時でした。
転職先で新しいプロジェクトを任されたわたしは
右も左もわからない新たな環境で
結果を出すために必死でがんばっていました。
 
 
 
毎日、終電で自宅に帰り休日出勤を繰り返す中
会社を一歩出ると勝手に涙が溢れるようになりました。
 
 
その時の率直な感想は
「自分に何が起きているのか全くわからない」と思ったこと。
 
 
悲しい訳でも、苦しい訳でもないのに
ただただ、ハラハラと流れる涙をこらえては
終電に乗って帰宅していたの覚えています。
 
 
 
ある日、職場で仲良い同僚にその話をすると
「それはヤバいやつです。休んだほうが良いです」と言われる。
 
 
わたしは、その時に初めて
「これが、世間でいうメンタル的な症状なのだ」と知ったのです。
 
 
 
当時のわたしは、すぐに会社を休めるはずもなく
なんとか休養を優先しながら仕事を続けていましたが
状態は良くなるどころか次第に社内にいる時間でさえ
涙が止まらなくなって1年後に退職願を出したのです。
 
 
 
 
「少し休めば元気になる」
そう信じていたわたしは退職後はゆっくり休みを取りました。
そして、今度は地元にある小さな会社で働くことになります。
 
 
 
しかし、自宅からも近く休日もしっかり取れる環境を選んだはずなのに
わたしの仕事はどんどんハードになって行きます。
 
そう、原因を改善しないまま環境を変えただけなので
わたしは同じような問題に悩まされていくのです。
 
 
 
わたしは、いつも「周りの環境」や「周囲の人たち」を批難していました。
「わたしが大変なのはみんなのせいだ!」こう思っていたのです。
 
 
 
新しい転職先でも、次々と自信をなくすような出来事にあうようになりました。
「こんなにがんばっているのに」「こんなに考えているのに」
そんな風にいつもイライラしていました。
 
 
 
 
そして、その会社に勤めて3年が過ぎた頃
同じような志を持った仲間と会社を立ち上げる決心をしました。
 
 
 
「自分たちの努力は自分たちで認めたい」
そんな気持ちがありました。
 
報われないのは周りのせいだと思っていたので
今度こそ、自由に生きて行けると考えていたのです。
 
 
 
同じ目標を持った仲間が集まって
同じようにがんばったら、今度こそ「正当な結果」が出るはずだ!
 
 
 
 
そう意気揚々と船出をしたのもつかの間。
会社を設立して三か月目に東日本大震災に遭い
すぐに身動きが取れなくなりました。
 
そして、落ち着いて来てから再び走り出してはみたものの
今度は、その仲間同士でいざこざが絶えなくなりました。
 
 
来る日も来る日も言い合いやケンカの日々。
同じ志を持って独立したはずなのに
またしても、同じような問題にぶつかるのです。
 
 
 
今度こそと思っていたわたしは
どうしたら上手く行くのかとそればかり考えながらも
朝、仕事に向かおうと思うと
「このまま消えてなくなりたい」と思うようになっていました。
 
 
 
本当は、逃げ出したい。
でも、社長として自分が創った会社を投げ出すことは出来ない。
そう葛藤しながら、なんとか会社が軌道に乗るようにと
毎日24時間、悩み続けていました。
 
 
 
そして、会社を設立してから半年後。
解決策が見つからないことに気がつき始めました。
 
このままでは、もっと状況が悪くなる。
このままでは、誰も幸せになれないかも。
 
 
 
そう思い始めたわたしは
断腸の思いで会社を清算(廃業)する覚悟を決めたのです。
 
 
 
あの頃は、我が子を失うような気持ちでした。
法人格として立ち上げたわたしの会社は
ある意味、自分の子供のような存在でした。
 
名前をつけて大切に育てて行こうと決めたのに
あっという間にこの世から消さなくてはいけない。
何日も何か月も悩んで迷い最善の方法も考えました。
 
 
 
そして、この精算(廃業)するにあたり
わたしは、本当の「問題」を知って行くことになったのです。
 
 
 
会社を創るのはカンタンですが
辞めるのにはさまざまな決まりがあります。
 
 
 
わたしは、この会社を清算するという作業に追われる中で
やっと「本当の原因」は自分の中にあるということを知って行きます。
 
 
 
今までは、周りが悪い、誰かが悪い、世間のせいだと思って来たことが
どうやら、そんな考え方をしている
自分の思考回路がおかしいと気がつき始めました。
 
 
 
会社を清算すると動き出して半年後。
ようやく最後の手続きが終わった日に
わたしの中の今までかろうじて張りつめていた糸がプツリと切れました。
 
 
 
何をするにも「ヤル気」が出ない。
まるで、糸の切れた凧のようになりました。
 
もう涙すら出ない。
空っぽの状態です。
 
 
 
 
そして、かろうじて頭に浮かんだことは
「取りあえず、休んでみよう」と思ったこと。
 
過去の経験から、休んだらまた動き出せるかも知れないと思ったのです。
 
 
 
 
無職になったわたしは何もヤル気が出ずに
ご飯を食べては眠りにつくだけ。
そんな毎日を繰り返して行きます。
 
 
やりたいことも無い。
やることも無い。
無意味な価値のない自分が情けなくて
世界に置いていかれたと思う焦燥感だけを感じていました。
 
 
 
ちょうど、この頃に「モバイルゲーム」にハマります。
 
やることも無いやりたいことも無い自分が
唯一、誰かに必要とされる場所。
 
 
名前も肩書きも何をして来たのかも関係ない
そんな仲間がたくさん出来たゲームの世界は
わたしの唯一「現実逃避」が出来る場所だったのです。
 
逆に今思うと、その場所が無かったら
自分の存在すら否定して本当に消えていたかも知れません。
 
 
 
そこから、2年。
ひたすら「休む」という名目の
どこかで自分を責めながら、もがく日々が続いたのです。
 
 
 
「早く、この箱から出たい!」
そう思いながらも出口が見つからない。
 
「どうしてよいのかわからない」
こんな風に思いながら休んでいたので
結局は、ココロも身体も休まってはいなかったのでしょう。
 
 
 
 
次第に、寝ていると悪夢をみるようになっていきました。
そもそも、眠れないという症状は無かったので
疲れている分、睡眠はよく取れました。
 
しかし、悪夢にうなされて起きるということが続いていきます。
 
ある時は、怖い夢。
ある時は、悲しい夢。
 
夜中に突然、目を覚ましては
自分が枕も頬も濡らして泣いていることにビックリしました。
 
 
 
そんなある日、新しく「怒っている夢」を見たのです。
今までにないパターンでした。
 
夢の中でわたしは、誰かを思いっきり怒鳴りつけ
怒りの感情をぶつけて両腕を振り回して暴れているのです。
でも、その怒りは届かずにわたしはもっとヤキモキしながら
大声を出しては殴りかかります。
 
 
 
「ハッ」として目が覚めた時
わたしは、自分のある感情を思い出したのです。
 
 
 
「あー。わたし、ずっと怒って来たのに
それを誰かに伝えたことも無い。
そして、会社を清算した時だって
本当ははらわたが煮えくり返っていたのに
社長らしく涼しい態度で大人の対応をして来たな」
そんなことをぼんやりと考えていました。
 
 
 
 
そこから、わたしは「自分のガマンしてきた感情」
というものに興味を持ち始めました。
 
 
 
インターネットで、何もわからないまま
色々な検索ワードで少しづつ何かを知ろうとしていました。
 
 
 
ある日、「自己嫌悪」
こんな言葉を検索した時のこと

やっと「心理学」というものと接点が出来ました。
 
 
 
そして、人によって考え方や受け取り方が天地のように違うものだと
だんだんと知るようになったのです。
 
いつの日か、わたしの考え方の思考回路がおかしいのかも?
そう思っていたことが一気に蘇って来た瞬間でした。
 
 
 
わたしは、来る日も来る日も
何かを求めてインターネットで調べまくっていました。
 
感情の仕組み。思い込みの仕組み。
怒りの元になること。悲しいと感じること。
 
 
 
やっと、やっと、私の中で点が線になって繋がり始めた。
 
 
 
しかし、ご存知の方も多いと思いますが
巷にあふれている「心理学関連」の書籍は
本当にわかりづらいものが多くて
40歳を過ぎて初めて心理に触れるわたしにとっては
理解が出来ないことが多く、やっと出口のヒントを見つけたと
意気込んでいたものの次第にガッカリしはじめたのです。
 
 
 
そして、そんなある日
自宅でぼんやりとテレビを観ていたら
今の師匠である「心屋仁之助氏」を見かけたのです。
 
 
 
衝撃でした。
 
 
 
そして、全身の血が逆流するくらい
「ここに答えがある!」と確信して走り出し
リビングのテレビの前から自室のパソコンに向かうのです。
 
 
 
 
今度の検索ワードは「心屋仁之助」。
ブログを最初から読み漁り、書籍を買って無我夢中になりました。
 
 
 
 
素人でもわかる言葉。
 
 
 
 
そもそもカウンセリングは会話です。
クライアントさんとのカウンセリングの中で
専門用語は必要ないのです。
心屋塾の最大の良い点はここにあるのだと思います。
 
 
 
 
そして、ここで
やっと心屋塾の初級セミナーに参加。
2013年のことでした。
 
 
 
 
そこで、わたしはカミナリに打たれるのです。
 
「あ~!やっとわかった!
わたしが人生で悩んでいた疑問もつまづいた原因も
こんな、些細なカン違いから生まれていたのだ!」と。
 
 
 
 
わたしが、正しいと信じて来たことが違ったこと
わたしが、良かれと思って考えて来たこと
人の感情の仕組みや思い込み
 
わたしに取っての人生のナゾは8割スッキリしたのです。
 
 
 
そして、このセミナーの帰りには
「これをやる人になろう!」
そう決心して、会場を後にしました。
 
 
 
 
そこからは、この仕組みの全て知りたい!
わたしもカウンセラーになりたい!
 
そう思って走り続けて来ました。
 
 
 
 
ココロの仕組みはカンタンです。
でも、人の数だけ「気持ち」は違う。
 
なので、基礎を徹底して理解して欲しい。
そして、自分の気持ちを大切に感じて欲しい。
 
 
 
あなたがラクに生きるヒントは
「自分の感情」にあるのです。
 
 
 
わたしは、これからも心理カウンセラーとして
たくさんの人の気持ちを紐解いていくお手伝いをしたいと思っています。
 
 
 
 
◇2014年3月 心屋塾マスターコースアドバンス卒業
心屋塾リセットカウンセラーになる。
 
◇2016年10月 心屋塾認定講師になる。
 
 
現在は個人カウンセリングは行っておりません。
各セミナーや講座にて「仲間と学ぶ」という相乗効果を大切にしています。
 
 
また、自身で主催している「カウンセラー養成スクール」にて
リライトカウンセラーの育成をしておりますので
活躍できるカウンセラーの支援にも力を入れています。
 
 
 
その卒業生たちとの気軽に楽しめるイベントなども開催していますので
是非、身近にカウンセリングに触れて頂けることを願っています。
 
 
 
2018年5月 改定