学生時代に何度か行ったことのある知覧の特攻平和会館に小6の次男を連れていきました。
車から降りてすぐ、近くのグランドで少年野球をしていたのですが元気な声援が響いていて微笑ましかったです。
空は美しい秋空が広がっていて、心地よい風が吹いていました。
特攻平和会館は飛行場跡地の北端に建てられていて、周辺には今でも当時の史跡が残っており、実際に見て歩くことができました。
特攻隊員が出撃までの数日を過ごしたとされる半地下式木造の三角兵舎を再現した場所もあり、実際に入ることもできました。
まだ母を想う10代の子も多く、どんな気持ちでここにいたのかと思うと胸が締め付けられました。
館内を回りながら、学生の頃とは全く違う印象を受けました。
あの頃の私は自分本位の正義でしか物事を捉えることができずにいて、誰が悪くて、だれのせいで、こんな悲惨なことになったんだ!許せない!そんな偏った考えかたしかできていませんでした。
この人たちの無念を晴らすべく、みんなが生きたくても生きることが許されなかった日々を私は一生懸命に生きよう!何かを残せるような立派な人間になろう!と心を燃やしていました。
結局は、何者にもなれないまま40代を迎えた私。
そんな私が今日、ふと気づいたのです。
グランドから声援が聞こえる、ほのぼのとした時間。これこそが先人たちが願って止まなかった未来だったのではないかと。
生きることを選べなかった時代。
家族や大切な人の幸せを願い、お国のために死を覚悟せざるを得なかった時代。
今では信じられないことですがこの日本でも確かにそんな時代があったわけです。
先人たちの魂が天に還り、時が流れ、転生したとして、それが私だったとして、何をするべきなのか。
きっと、彼らは残された人たちが何かを成し遂げ、成功する立派な人になってほしいなどは望んではいなかったでしょう。
ただ、ただ、
愛する人とくだらないことで笑い合って、自分自身が好きなことをして、美味しいものを食べて、1日の終わりには家族と温かい布団で安心して眠る、そんな毎日を夢みていたのではないでしょうか。
これこそが明日を生きることさえ許されなかった人たちの願いだったのではないでしょうか。
彼らが命をかけてまで見たかった未来だったのではないでしょうか。
次男と肩を並べながら
「みなさん、見えていますか?
日本から戦争はなくなりましたよ。
みなさんの願い、信じた未来を今、こうして生きていますよ。
みなさんの命と引き換えに尊い毎日を与えられています。本当にありがとうございました。」
と語りかけながら遺書や遺影を見て回りました。
世界規模からみたら、戦争のない日本は間違いなく「平和」でしょう。
しかし、「平和」に映るこの国でも、今も目に見えないそれぞれの闘いの中で苦しんでる人たちがいるのも事実です。
与えられた環境の中で明日への希望を持てずに闘っている人たち。
豊かな時代に孤独を感じ、誰にも助けを求めれずにいる人たち。
一人ひとりが本当の「平和」を生きていけることを願わずにはいられません。
それが残された私たちの先人たちへの恩返しになると思うのです。
最後に平和の鐘を力強くならし、感謝して帰ってきました。
戦争を経験していない私達だけになるのも時間の問題です。
忘れてはいけない先人たちの想い。