おはようございます。
睡眠時間が足りてない為か、しばしば頭痛が発生しております。生活リズムは一度崩れると治すことが難しいですから、気を付けなければなりませんね。
さて、私の家は諸事情により神道を信仰しています。事情と言っても大したものではありませんし、信仰と言っても家には神棚すらないほぼ無宗教な状況です。
そのほぼ無宗教の私が宗教観について語ろうというわけです。
つまりは主観と憶測に寄った、あくまでも私の結論づけた解釈でしかないということですね。
今回は、「隣人愛」の見解です。
まず「隣人愛」がどういったもので、どのような考えに基づいているのかについてです。
これはキリスト教の中心概念の一つで、「隣人」とは身近な人に限らず、ある差し迫った事態に遭っている各人でもあります。自分を愛するように人を愛しなさい、という教えですね。
・私個人としての意見
この「隣人愛」というものは、社会における「個人」の孤立を避けるための仕組みであると考えます。なぜ孤立を避けることができるかといえば、この愛には人々の間にある不信感を相殺させるだけの力があるからです。社会を構成する人々の繋がりが薄ければ、もちろん国家として成り立たず争いに発展します。平和の維持においての心の在りようを表しているように思います。
しかし、それと同時にある意味で「隣人愛」は監視システムとしても機能しているのです。他人への関心が高まれば、対象を必然的に自分や社会と比べてしまうものです。愛を理由に普通へと誘うことで安全性を守っていると考えられます。
現代においてもこれらは効力を発揮出来るものであると私は思います。厳密には、信じなければあるものも無くなってしまうということです。
