『母との約束、250通の手紙』を観てきました。伝記物は当たり前ですけどストーリー展開に意外性はない、そして落ちがスッキリしない場合が多々あるという印象(偏見)ですが、今回も例に漏れず。ただ、ロマン・ガリという作家の数奇な人生はシンプルに面白く、文学作品は苦手ですがガリ作品を、とりあえずは原作「夜明けの約束」を読んでみようかという気になりました。
公式HPより
「破天荒ながらも強い愛情を息子に注ぐ母親と、母の途方もない夢を叶えようと邁進する息子。あなたがいたから、僕がいる。激動の時代に翻弄されながらも、強すぎるほどの絆で、互いの存在だけを頼りに生き抜いた母と息子。想像もしないラストに涙する感動エンタテインメント。」
ロマン・ガリは、幼少期より思い込みの強い母に女手ひとつで育てられます。その母に「この子は偉大な人間になる。大使になり、作家になり、勲章をもらうのだ」と言い聞かされ育てられました。洗脳のように刻み付けられた言葉は、ガリの何よりの柱になり、少年期、青年期、さらには戦時中に至るまで、ガリの行動を決める指針となります。
とりあえず、公式のストーリーの最後に対しては強く異を唱えたい。出版に対する手紙の反応の時点で、というか病に倒れた時点で、ある程度予想はつく展開でした。それに、後で書きますが、「感動的」というのも果たして当てはまるのかどうか。
この映画は、毒親に洗脳された子供を通して、栄光と名誉の意味を問うているのだと解釈しました。ただ、私はロマン・ガリという作家をこの映画で初めて知ったので第三者的目線、かつガリの生きた時代ではなく現代の価値観にどっぷりと浸かって鑑賞しています。そこからすると、あのように「才能」を連呼され、理想を押し付けられると、毒親だとしか思えません。どこまでも応援してくれる、我が子を諦めない、という意味では救いがあるのかもしれませんが(あるのか?)、自分が叶えられなかった理想を我が子に押し付けているようにしか思えない。自分がロシアの映画スターと共演したスター女優だった、と嘘をついたところなど、まさしく夢破れた敗残者、という側面を強調しているようにしか思えません。
しかし、ガリのファンから見ると、この母親も偉大な作家を育てた立派な母ということになるのかもしれません。この母の教育・愛がなかったら、きっとガリは戦時中に小説を書かなかったし、最初の軍離反未遂や決闘で死んでいた、そこを生き延びていても、あの目の見えなくなった飛行機乗りの運転する戦闘機で、武勲を立て帰還する、という偉業は達成できなかったでしょうから。そこは、映画の宣伝文句にあるように、「強すぎる絆で、互いの存在だけを頼りに生き抜いた」親子の軌跡によって育まれた、生への執着があったのでしょう生まれなかったのでしょうから。文豪ガリは、間違いなくあの母が作り出したものです。
そうしてガリは、あらゆる名誉を手に入れ、母の願いを全て叶えた「最高の人生」を歩みます。しかし、映画の最後に残ったのは、妻の腕に抱かれても少しも満たされない哀れな子供が残るのみでした。母が死んだら意味はなく、母の称賛のない名誉は彼にとって塵芥以下の価値でしかなかったのでしょう。彼にとっては母「だけ」が頼りになる存在であり、母の夢を叶えるための人生だった。そんな人生を歩ませた母、そして歩んだ息子、それを「感動的」という言葉で片づけてしまってもいいのでしょうか。私には、猟奇的にしか思えません。
何をもって名誉とするか。それは人の考え方によるし、何を是とするかに依るんですね。文章に起こせば華々しい人生を歩んだガリも、おそらく何にも満足することなくこの世を去ったのでしょう。自分の人生に必要だと思うものを抽出し、大事にしていきたいです。