昨年度の今頃、支援級入級となり、夢と希望に満ち溢れていた。(母であるワタシだけが)

発達特性がある子には環境を整えてあげれば良いと、講演会でも聞いたし、それが親である私が次女ちゃんにしてあげられることだと思い込んでいた。


環境が整えば次女ちゃんも学校に行けるようになると思い込んでいたなぁ...

この頃は、まだワタシも子どもに学校に行ってほしかったし、それがゴールとでも思っていたんだな...



小5の1学期、支援級になっても結局次女ちゃんが登校した日は合わせて1週間ほどだった。






次女ちゃんが小2の時の担任に困り感を訴えても、もっと大変な子がいますと言われ、その当時から必要な支援を受けていたその子は今でも楽しそうに学校に通えている。



IQの数値では本人の困り具合は測れない。




小2で3と5のどちらが大きいかもわからない子だと担任が言っていたあの子は、ずっと必要な支援を受けられて、今でも学校に通えていることが、私は悔しくてたまらなかった....


次女ちゃんだって、もっと早く必要な支援を受けられていたら.....学校に行けてたんじゃないかという気持ちに苦しめられた。

(こんなプライベートなことを名指しで他の保護者に言うなんて、ほんとこの時の担任は終わってると思う真顔)



名指しで言ってくるから、あの子が誰だかわかってしまい、

当時、3と5のどちらが大きいかわかっていた次女ちゃんが学校に行けなくなったことで、昨年の1学期が終わるころには母親であるワタシの心が壊れてしまった。



これ以上どうしてあげたらいいの....

今思えば、子どもが学校へ行かないということは、私がでしゃばってどうにかなる問題ではないのに。

結局、私はすぐに人と比べてしまう人間だったのだ。


今の学校ってどうしたって人と比較してしまう場所だ。

だって、自分の力に点数をつけられるんだから。





そんなこんなで、自分を見失い、見えない力に頼ることになったんだけど。





いろーーーーーーんなことがあって、

少しずつ家で楽しく自分時間を過ごす娘のありのままを理解できるようになってきた。



小6になる次女ちゃんの始業式に向けて、去年の今頃とは全然違う気持ちで過ごせている。



小5になる時も次女ちゃんは始業式のリハをしてもらった。

朝、げた箱に着いてから、どこに行けば良いのか、体育館のどの場所に並ぶのか、困った時には◯◯先生に声をかける等々。



今年のリハの後、次女ちゃんが

わたし、行かないかもしれないよ~てへぺろ


といたずら顔で言った。

おいおい、ここまで綿密なリハをしてもらって行かないとかないでしょ?!


と心で思ったけど、



まー、その時はその時だね口笛


とも今は思える。



小学生、最後の一年。

親子共々、心穏やかに過ごせますように。





次女ちゃんのクラス編成の配慮について。

学校側からご希望はありますかと聞かれたので。

今年と同じような子たちがいてくれると、心強いと思います。宿泊体験も楽しかったようなので。
次女ちゃんは6年生で◯◯くんと同じクラスになれたら、ワタシ毎日学校行っちゃうかもラブ

と言ってますと伝えると、通常級と支援級それぞれの先生がニヤリニヤリ


一応、その彼の名前を聞いておきましょうかニヤリ



うふふふ照れ


次女ちゃんが始業式の日、クラスを確認してどんな顔で帰ってくるのか楽しみ口笛


果たして、登校するのかウインク