出かけると必ず咲空と同じくらいの赤ちゃんを見かける。



生きていてくれたら このくらい?と想像しながらみると・・・・・



切ない。悲しくて発狂しそうになる。泣きたくなる。




娘が妊娠を告げた時は まだ 高校を卒業して 病院に就職して 数ヶ月のころ。


母親として 人生の先輩として 彼女に


「まだ 母親になるなんて 早すぎる。今回は 諦めなさい。」

「今のあなたから 生まれても 赤ちゃんを幸せにすることなんてできない。」



私は 何度も何度も反対していたし 応援するなんて 出来なかった。


娘は 私が反対すればするほど お腹の赤ちゃんを守ろうと必死でした。



あのころ・・・



私が心から喜んでいたら 咲空は この世に生まれてきてくれたんだろうか。



娘の大きなお腹を見るたびに 「おばあちゃんにはなりたくない。」「おばあちゃんなんて呼ばれたくない。」

娘のお腹を撫でてあげることもなかった。



でもね、予定日が近くなるときは 覚悟を決めて「かかちゃま」と呼んでもらおうと決めていたの。



そして 私が始めて娘のお腹に触れたのは 「ママ 赤ちゃん 死んじゃった」と告げられた日。


ひどいおばあちゃんだね。



ごめんなさい。



咲空は 天国から 今 何をみているの?



あなたのママは あなたを誰よりも愛していたよ。

今でも あなたに涙をくれる人は沢山いる。



心のない人は悲しみに泣いてもくれない。悲しみから目を背けていく。



悲しみに寄り添うということは 一緒に泣いてくれること。

故人の話を惜しみなく聞いてくれること。


悲しみから 目を背けないでいてくれること。

咲空が教えてくれました。



死んで生まれてきた咲空の写真を見たいと言ってくれる人がいてくれたり、話を聞いてくれたりする友人には 感謝です。


私たちは 咲空の写真や遺骨、爪 髪の毛 手形 足形などを 残すことができました。


そうさせてくれた看護師やスタッフに とても 感謝しています。



流産 死産。



この世には 戸籍には残らない命だからこそ、忘れない。

大事に覚えていたい。



咲空ちゃん、かかちゃまは咲空の短い人生を生きた証をたくさんの人に伝えていくよ。


いつか 必ず 会おうね、









2009年12月の暮れ・・・



旅先にいた私の携帯に娘から 「切迫早産の危険があるから 今から 入院する」と電話があった。


陣痛抑制剤を点滴して 安静にして 大事をとるとのことで 母としては 下手に年始年末を出歩き、早産してしまうより 安心だと思い、医師の指示に従うようにと伝え 旅を続けることにした。



ベッドの上で 本人は 痛くもかゆくもないわけで 初めての入院生活は ただただ たいくつな様子で 病院の食事を写メールで送ってきたり、持ち前の明るさやなつっこさで同じ病室の人や看護師さんたちと 徐々に打ち解けていく様子を知らせてくれました。



2010年1月



年が明けて 旅から帰って、娘のお見舞いに行くのが 日課になりました。娘の両腕には 日ごとに注射のあとが痛々しく その数はあちこちに広がりました。でも 親の反対を押し切り 守ろうとした命を無事に産むまでは我慢、我慢とベッドとトイレの往復のみが許されたたいくつな3週間が過ぎていきました。



1月29日



おなかの赤ちゃんんもいつ生まれても良い大きさになり 退院したわずか3日後の夕方・・・・


娘から戸惑う声で


「ママ お腹の赤ちゃんが死んじゃった。心臓が動いていないんだって・・・」



昨日 検診の帰りに家により 「突き出したお腹が重いよ~よく動く子だよ」そう言っていたのに、なぜ?

どうして?まちがいでしょう?

でも わたしがうろたえてどうする・・・


その一心で「わかった。今から行くから」たしかそんなようなことを言い 電話を切った。


娘に会う前にナースセンターにより、確認と自分自身を冷静にするため 看護師さんに会った。



間違いなく心臓が止まっている。



すなわち 死んでいる。



病室には娘が一人でいた。


私より体格の良い娘が とても 小さく見えた。


私は泣いてはいけない。泣かないと決め、娘を抱きしめた

娘は私に抱きしめられながら お腹の赤ちゃんを抱きしめていた。泣いていた。私はこらえた。でも 涙がぽつぽつ落ちた。

娘の旦那さんもすぐに荷物を持ってきたが 黙って 娘のそばに寄り添い、娘を一人にしないと赤い目で言ってくれた。私は帰りのエレベーターの中で何度も何度も平常心を取り戻すように自分にいい続けた。



2月1日


あれから 3日間様子をみたが陣痛が弱いので 誘発分娩になった。


娘には産み出してあげることが 母親としての赤ちゃんにしてあげる最後の勤め、良いお産にしよう、と約束して

点滴が始まった。もちろん 旦那さんがそばについてくれた。

私は分娩室の前の荷物置き場みたいな場所でひたすらお腹の中の赤ちゃんにママを楽にしてあげて、そして あなたに会えるのを楽しみにしているよ、と心で話かけ 祈った。



産まれた。



静かな静かなお産が終わった。








私のところにも看護婦さんが赤ちゃんを連れてきてくれました。



2900グラムあるかわいい女の子。


口をぽかーんとあけ とても満足なおだやかな顔をしていた。


「はじめまして、かかちゃまですよ。娘をママにしてくれて ありがとう」思わず そう 言った。柔らかい体は どっしり 温かく ただ 眠っているだけに見える。私はとても幸せな気持ちだった。会えたことが 嬉しかった。



それから 娘が退院するまで 2日半 娘夫婦は ずっと 親子3人でいられた。私も絵本を読んだり ドレスを買ったり、咲空ちゃんのおばあちゃんができた。


主人もたくさん写真をとってくれたり 息子も鶴や飛行機を折ったり。


それぞれが 今出来る精一杯を咲空にした。泣いてもわらっても 姿あるわが子 我が孫にできる精一杯を。



2月3日



最後のお別れ。





病院の看護師、スタッフ たくさんの人の涙をもらい 咲空は棺に移されました。


ピンクのガーベラで顔の周りを飾り、咲空は きれいな眠り姫になりました。


そして 咲空は 天に登り 天使になりました。


娘には咲空の遺骨の入った骨壷だけが残りました。いつか必ずまたあえますように。


2月4日



ささやかに 両家だけで 葬儀をしました。




命の尊 はかなさ・・・・


咲空が 私たちにくれたメッセージは なんだったのだろう。



咲空がけなげに残したメッセージを娘と共に探していこうと思います。





北海道 花開道


北海道 花開道




週末 静岡県から 来た両親と 支笏湖温泉に 泊まりにいきました。



赤 黄 緑 茶の コントラスト きれいでした。




北海道 花開道





秋が 深まると もうすぐ 冬・・・・




北海道 花開道



しんみりします。



今 主人が 東京の府中に 仕事で 行っています。


以前 国分寺に住んでいたので 主人から 聞く地名の ひとつ ひとつが なんだか とても 懐かしいです。



東京には もう・・・・20年くらい 訪れていない。


一番に 行きたいのは 住んでいたアパート。


公園や よく 行った喫茶店やら もう 場所も 名前も おぼろげだけど すべてが 青春そのもの。

今 そこに 行ったら 感動で 泣いてしまうかも・・・しょぼん


のんびりと 北海道に住んでいると 満員電車に乗っていたことも お酒臭い最終電車に乗ったことも 新宿や四谷 銀座 国立で 働いていたなんてことも まるで 自分のことではないくらい かけはなれた世界。


でも 私が 一番 私でいられた場所で あったことには 間違いない。



Mちゃん Tちゃん・・・・



それぞれに この場所で たくさん 思い出 作ったね。。。(会いたいなラブラブ




さて 主人のいない生活を 息子と満喫!!と 言いたいのですが、学校が秋休みに入り、一人で 息子の相手は疲れます。汗



こちらは 朝 夜は 暖房が 必要になってきました。



今年も のこり 3ヶ月 ないんですね~



気力で 頑張らないと!!!






週末 室蘭方向に出かけ 偶然 出会えたダイヤモンドプリンセス・・・・


めちゃくちゃ 大きいです。


室蘭駅前を通り やたら 外国の観光客が多いなあと思いながら 埠頭を通過しようとしたら 巨大な船を 見つけ・・・それが なんと ダイヤモンドプリンセス・・・・



私たちは 伊達を通り 洞爺湖を周り 帰宅しましたが 有珠山の噴火口やら 観光名所のお客さんは 外人ばかり・・・


偶然なだけに なんだか 得したような。。。。




北海道 花開道



宝くじがあたらなければ けして 乗れない船。。。


でも 名前に負けないくらい 素敵な 素敵な船でした。