依然として新型コロナウイルスの勢いが止まらぬ中、職域で2回のコロナワクチン接種が無事終了。
しかし、1回目の接種の日、この日を逃すと以降はしばらく打てなくなるという日に打ちに行ってしまったため、待ち時間は2時間以上にも及んだ。
その際、お隣りに並んでいた女性の方と話しをさせてもらい、聞けば、保育園の給食の方だと言う。
その方とは以前から知り合いではないかと思えるくらいの喋りやすい方で、その方のおかげで、待ち時間もお喋りで楽しめる時間となった。
食について色々話している際、給食が残されて戻ってくるのは淋しさもありながら、今の時代仕方のない事もあると話しつつ、あるお子さんが、毎回グレープフルーツが入ったお皿のラップさえも外されず、手さえもつけてもらえず、先生にもチャレンジすらしてもらえないという話しがあった。
多分、どうしても食べられず、ラップを外す事すら困難な状態なのかもしれない。
アレルギーはなくとも、食べなければいけないものではないのは承知していながら、私も改めて、飽食について考えさせられる。
ほとんどの人が食べたいと思ったものは何でも手に入れられ、マーケットに行けば、所狭しと様々に豊富な食品が並び、食べたいと思った物は自由に選んで食べられる現代。
だからこそ、いつしか食への関心は低下し、好き嫌いが増え、栄養バランスも偏りがちになり、食べ残しも多くなり、悪循環も生まれる。
私の幼少時代、「出されたものは食べなさい」精神で教えられ、今でこそ全く問題なく食べられるが、あの当時の苦手なものと言えば、大葉くらいだった。
大人になれば大抵の物は食べられるようになり、だからこそ今食べられなくても、無理して食べなくてもいい事も重々承知だ。
でも、私自身がいつも思うのは、苦手なもの、嫌いなものは残してもいいから、いつかチャレンジ出来る日を目標に、その時の状況を、きちんと子ども達に言葉で知らせていければと思う。
「まずは出されたものをよく見てみよう!」
「もしかしたら、次はチャレンジ出来るかもしれない!」
「いろんなものを色々食べてみる事で、どんどん体は強くなるよ!」
「知らなかった美味しいものが、世の中にはたくさんあるよ!」
こんな事を考えながら、子ども達と話し合う事が、子ども達の未来にも繋がるのではないか。
だから私なら、前述のグレープフルーツの話しには、そのまま戻す前にお皿のラップだけは外し、「見て!どんな形してるかな?食べてみたらどんな味かな?いつか食べられるといいね!」等、前向きに子どもと話すようにしたい。
私も自分の子どもが小さい時は、作った物をあまり食べてもらえない時に、よく悲しい気持ちになっていた。
その時期は、食材を細かくしたり、見た目を変えたり試行錯誤をしながら出していたが、大きくなるにつれ、食事を出す時には「世界には食べられない人もいるんだよ」と地球規模の話しをし(笑)、「今日は、このごはんだよ!」と、目の前だけの食事を食べるような諭しで進めていった。
その甲斐もあってか?、自分の子は特別好き嫌いなく平らげてくれるようにはなったが、子どもによっては個人差や子ども特有の食に対しての感じ方の違い、様々な理由もあるかもしれないので、それこそ子どもにより、やり方も試行錯誤の連続かもしれない。
でも、継続は力なりで、伝え続ける事、やり続ける事が、大きな一歩になると信じている。
以前、里親として預かった高校生の一人は、日々の食事はフードバンクからの缶詰などでお腹を満たし、温かいものは食べれず、ご馳走と言えば「ツナ缶」だと言っていた。
そんな彼女が家に来てから、何でも「美味しい、美味しい」と平らげ、あっという間に太ってしまったと笑いながら言っていた。
食は笑顔も運ぶのだ。
だからこそ大人は、様々な試行錯誤と出来る限りの工夫をしていきたい。
今年度、園内の食育の一環として、大根とトマト収穫を行ったが、そうした事が子ども達の何かしらの食に対して関心が持てる「きっかけ」のひとつになればと願いつつ、今後も「食」については、大いに考えていきたい。