rumi4646のブログ

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被災地より愛を込めて

Amebaでブログを始めよう!

メッセージ、無くなっちゃったね・・・



街で見かける、解体OKの家屋。

津波の被害を受け、人が住み続けることをあきらめた家屋が残り、

業者の入るのをひっそりと待ち続けていたが、そんな姿に

長年住み続けた方たちの、それぞれのメッセージが込められています。



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rumi4646のブログ-解体アート2 子供さんが書いたのでしょうか?

なんだか、残しておかなくては!と思い

撮りためておりました。

しかし、残念なことに、これらの家屋は取り壊され

今はもうありません。 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。


下の写真は今はもう、ほとんど流れなくなった

AC JAPANのCMのキャラクターが全て書いてありました。

「こんにちは、ありがとう」で始まる「ぽぽぽぽ~ん!」

が印象的なCMです。


今は全く流れませんが、震災当初、やっと電気が通り

テレビで流れていたのは、安否情報とこのCM。

こればかりを目にし、耳にし、私たちの中では

震災を象徴していると言っても過言ではない

ものとなりました。



あまり見えにくいのが残念ですが・・・




rumi4646のブログ-ぽぽぽぽお~ん!   
  そんな事もあってか、なんだかそのまま取り壊されるのは

  寂しいようなきがして、思わず写真に収めたのです。

  

  いろんな気持ちが込められているのでしょう。

  そして、見る側もいろんな想いを持つのです。

  

  街は徐々に瓦礫も、家屋も撤去され、目を覆うような

  光景は少しづつですが無くなってきています。

  

  忘れてはいけない。

  目に映るものがなくなってしまっても。


この震災で多くの人が、傷つき、やり切れない想いを秘めながら今を生きています。


目に見える景色が変わっても、その場所に想いがあるなら、きっとまた素敵な景色になるだろう。

そんな未来を見るために、忘れてはいけない気持ちがあると、私は思うのです。


この写真は5月の頭に撮った物なのですが、今になってしまいました (。>0<。)

瓦礫撤去の仕事がスタートしてから、なかなかPCに向き合う時間がなく、

私も今を生きています。

(ちなみに一応主婦ですので、お母さん仕事も盛りだくさん!なのでした・・・)


私なりに、震災から感じたこと、周りの現状、小さな出来事かもしれないが、自分の日記のように

残しておきたいと、このブログを始めたものですから、

少しづつなのですが、振り返りながらでも書きとめて行こうと思います。





  ペタしてね

  



瓦礫撤去作業に汗を流し!



17日より、国からの交付金による地元再建の瓦礫撤去のお仕事開始!

3日間という短期ではあるが、自衛隊の撤退により

配給も終わってしまった今、少しでも稼ぐべく集まった皆。


漁業施設、壊滅し仕事を無くしてしまった、というか

漁業の町の為、ほぼ90パーセントの人間は漁業にたずさわっていた為

皆、解雇を余儀なくされ、死活問題なのである。 ・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

私も例外ではなく、海藻加工の工場で働いていたが

もちろん、仕事場は跡形もなく現在無職・・・

日々ボランティア作業をしていましたが、少しお休みさせてね (-^□^-)

家の為に少しは稼がねば (^O^)/



rumi4646のブログ再び漁を再開できるよう、まずは浜を整備!

だが、どこから手をつけていいやら・・・・

散乱している瓦礫を丁寧に分別。

大木、船やら屋根やら、発砲スチロール、網にロープ、

大きいものから細かく砕かれた物までのごみの山。

中には海辺にはあり得ない、家の中にあったであろう物まで。

壊れた位牌には、驚かされた目 こんなところまで・・・叫び


50人以上は参加していたと思うが、朝から夕方まで一日作業

しても、まだまだほんの一部分。

コンクリートで頑丈と思われる船着き場や、防波堤、道路まで

津波により、えぐられているので、瓦礫が徐々に取り除かれると

また違う惨劇が顔を出す・・・


本当に整備されるまで、あと何年かかるのだろう・・・?


少し、途方にくれるのだ・・・ (>_<)

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 この作業は3日間で終わりですが、

 次は市による、瓦礫の撤去の仕事が始まります。

 場所は、地元かどうかはわかりませんが

 参加する予定です。

 

 震災を受け、職を無くしても誰も生活は援助してくれません。

 家を流された方は、国からの支援金や配給物資など

 今も援助されていますが、

 家が助かった者は、国からの支援金がでないので、

 こうした働き口をつなぎ、つなぎ、生計をたてることしか

 今は方法がありません。



漁業を再開すれば・・・とも考えましたが、船、養殖施設、また漁を始めるには

1千万は借金しながらのスタートになりそうなのだと、そして元をとるまでに施設等が整うのに

10年はかかるだろう・・・。

悩みに悩み、私の家は漁師はあきらめましたが、

この場所で生きていかなければなりません。


瓦礫撤去は仕事としていつまであるかわからないので

就職活動も視野に入れながら、今後を考えて行こうと思っています。

アラフォーなわたくしを、受け入れてくれる業種はあるのかしらん・・・ (///∇//)



そんな、こんなで考えると頭がグチャグチャするので、

体力作業に汗を流すのは、いろんな意味でスッキリ音譜するのでした・・・音譜





 


震災から2か月が経ち、あの時を振り返り・・・






平成23年3月11日、岩手県宮古市

昼過ぎの事でrumi4646のブログ した。

私はたまたま子供の調子が悪く、仕事を休み長男と家に。

聞いたことのない携帯の音が流れ、

突然の大きな揺れと、地震の長さに、ただ事ではないことを

皆、感じたであろう・・・。


 揺れが収まったところで、旦那は消防団の為、

すぐに海辺 の堤防へ降りて行った。

私は、休んだ長男を連れ、次男のいる小学校へ。


何も分からずに子供たちと避難先の小学校で待機。

高台なので大丈夫だろうと思っていても、地響きのような音と余震とは言えないほどの大きな揺れに

正直、大人の私でも恐怖と、不安が押し寄せた。


「私たちに、今何が起きているのか・・・?」


その答えは旦那の電話。

「津波で里が流された~!全滅だ!何も残ってねぇ~!そっちは大丈夫か~!」

そのまま携帯は不通となった。


皆、現在起こっている状況に戸惑いながら、

中には家族の安否も確認できぬまま、

子供たちも誰一人家に親元へ帰すことなく、

避難所となってしまった小学校で夜を迎えた。


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続く地震。

電気も止まり、暗闇

につつまれたその夜

これでもか!というように、雪が降った。

悲しいぐらい、寒い夜だった。



こうして私たちの被災生活が始まった。