記事内容
●首相選出規定
●初代 トゥンク・アブドゥル・ラーマン
ニックネームはトゥンク、独立の父、建国の父
●2代目 トゥン・ハジ・アブドゥル・ラザック
5-13事件や日本赤軍KL事件等々でかなり苦労
新経済政策取り入れたマレーシア発展の父
1973-1に国民戦線(BN)組織化し政治的安定確立
6代目ナジブ首相は彼の長男
●3代目 フセイン・オン
1981-4-20発布の国民統合信託スキーム発表した協調・統一の父
●4代目 マハティール・ビン・モハマド
マレーシア近代化・民主化の父
6次内閣まで作った最長内閣
ブミプトラ政策を強力に推進
各州スルタンの影響力削ぐ為に反対押し切り憲法改正
●5代目アブドラ・バダゥイ
公務員改革、汚職一掃に特に注力
首相夫人の母親は日本人
●6代目ナジブ・ラザック
1MDB問題で延々と裁判中
●7代目マハティール再登板(2018-5-9)
2018-5-9のGE14総選挙でPH大勝で首相に再登板
マハティール降板(2020-2-14)
●8代目 ムヒディン(2020-3-1)
マハティール降板で今回は総選挙での交代ではないので複雑
ムヒディン降板(2021-8-16)
●9代目 イスマイル・サブリ(2021-8-21)
ムヒディン降板で総選挙での交代ではないので複雑
●10代目 アンワル・ビン・イブラヒム(2022-11-24)
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マの政党・選挙制度・選挙 https://amba.to/3nNH7m0
マラヤ連邦・マレーシア連邦 https://amba.to/2rQFjeH
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首相選出規定
憲法規定で下院議員(220名)の半数以上の議員が
書面で直接アゴンに提示しその後各州スルタンと協議し首相指名
初代トゥンク・アブドゥル・ラーマン(Tunku Abdul Rahman)
ニックネームはトゥンク、独立の父、建国の父
1903-2-8クダ州アロー・スター生れ
1957-8-31~1970-9-22迄の初代首相
マレーシア独立時はマレーシア半島部は勿論のこと
サバとサラワクの帰属問題あったがその解決に尽力
1990-11-6に87歳で死去し墓所は生まれ故郷のアロー・スター
2代目トゥン・ハジ・アブドゥル・ラザック(Tun Abdul Razak)
5-13事件や日本赤軍KL事件等々でかなり苦労
1922-3-11パハン州クラウ・クラディ生れ
1970-9-22~1976-1-14迄の2代目首相
晩年はロンドンで白血病治療を行ったが1976-1-14死去
新経済政策取り入れたマレーシア発展の父
1971策定の新しい経済政策とは
民族間の所得格差が原因で起こった様々な暴動事件を踏まえ
民族間の経済格差の解消を目標としていた
つまりこの政策がブミプトラ政策の土台となる
この民族紛争で最悪だったのが
1969-5-13の死者196名、負傷者439名のティガ・ブラス・メイ
1973-1に国民戦線(BN)組織化し政治的安定確立
6代目ナジブ首相は彼の長男
3代目フセイン・オン(Hussein Onn)
1981-4-20発布の国民統合信託スキーム発表した協調・統一の父
1922-2-12ジョホール州ジョホール・バル生まれ
1976-1-15~1981-7-16迄の3代目首相
弁護士だった彼を1968に政界復帰させたのは2代目ラザック首相
ラザック首相の急死受けて3代目首相に就任
1996-5-29に68歳でサンフランシスコで死去
4代目マハティール・ビン・モハマド(Mahathir bin Mohamad)
マレーシア近代化・民主化の父
政策根本はルック・イースト政策と民主的イスラム国家建設
アジア通貨危機を乗り越えて急速な経済成長を果たしたが
ペトロナス・ツイン・タワー、KLIA、北・南間高速道路建設
ペナン・ブリッジ、プトラ・ジャヤ開発等のプロジェクト企画
アジア通貨危機時の政策は他の東南アジア諸国とは全く異なる
1USドル=RM3,8という固定相場政策で成功
6次内閣まで作った最長内閣
1925-7-1クダ州アロー・スター生れなので
トゥンク・アブドゥル・ラーマン初代首相と同郷
1981-7-16~2003-10-31迄の22年間在任
ブミプトラ政策を強力に推進
●ブミプトラ政策は、マレーシア最悪と言われる
1969-5-13の中華系とマレー系の経済格差に対する鬱憤による
民族衝突事件(5-13事件)を背景として採られた政策
ブミプトラ政策については批判も多く
甘やかし政策だからやめろという単純な問題でもないと思うが?
この辺りの舵取りはかなり難しい
マハティールが打ち出した印象があるが民族衝突事件を元に
2代目トゥン・ハジ・アブドゥル・ラザック首相が
最初に提唱して引き継がれてきた政策であり
経済成長に伴う財政状況好転により強力に推進された
●以下は俺の勝手な感想
2015時点で僅か45年前の民族衝突という最近の出来事で
年配の方々の多くは鮮明に記憶に残ってる
現に総選挙開票時には外出を控えるようにとも言われた
各州スルタンの影響力削ぐ為に反対押し切り憲法改正
スルタンは免訴特権や影での政治力維持してきたので邪魔?
各州スルタンがマハティールに騙された?という逸話もあり
5代目アブドラ・バダゥイ(Abdullah Badawi)
公務員改革、汚職一掃に特に注力
●アンワル元副首相兼財務相の権力乱用罪服役で
後継者トップに躍り出た経緯があり
ミスター・クリーン、ラー叔父さんと呼ばれ人気があった
汚職一掃、公務員改革というとマハティールを思い浮かべるが
総仕上げをしたのが5代目首相のアブドゥラ・バダゥイ
●当初は国民戦線結党以来の高い議席占有率獲得したが
2008総選挙で1957独立後最低の議席占有率63%で辞職
1939-11-26ペナン州クバラ・バタス生れ
20003-10-31~2009-4-2迄の5代目首相
首相夫人の母親は日本人
イスラム教師の父とイスラム学校創設の祖父の下で育ったせいか
信仰心が厚く、温厚、誠実、清廉と評価されるが
一方でリーダーシップ不足との評価もある
6代目ナジブ・ラザック(Najib Razak)
1MDB問題で延々と裁判中
1MDとはワン・マレーシア(1MDB)という政府系ファンドだが
負債RM420億と巨額で放漫経営問題でGE14総選挙敗北
1953-7-23パハン州クアラ・ラピス生れ、2009-4-3から6代目
父親は2代目首相のトゥン・アブドゥル・ラザック
叔父が3代目首相のフセイン・オンと政界のエリート家族出身
7代目 マハティール再登板(2018-5-9)
GE14総選挙 https://bit.ly/3RJLTAo
2018-5-9のGE14総選挙でPH大勝で首相に再登板
世論調査機関のムルデカ・センター調査では
マハティール首相支持率71%
国が正しい方向に動いていると答えた割合55%
(前回調査はナジブ政権下の2018-4で38%)
右が8代目ムヒディン・ヤシン(Muhyiddin Yassin)首相
イスタナ・ネガラ(Istana Negara)で国王への謁見
マハティール降板(2020-2-14)
8代目 ムヒディン(2020-3-1)
マハティール降板で総選挙での交代ではないので複雑
外野の俺がどうこう言う資格無し
概要は右記 https://s.nikkei.com/362MTrs
ムヒディン降板(2021-8-16)
連邦議会下院(定数222)で過半数の支持を失ったとして
8-16にアブドラ国王に謁見し辞意表明だが約1年半の短命内閣
連邦憲法により内閣も総辞職
国王は次期首相が決まるまでの暫定首相にムヒディンを任命
9代目 イスマイル・サブリ(2021-8-21)
ムヒディン降板で総選挙での交代ではないので複雑
憲法規定で下院議員の半数以上の議員が
各々書面で直接アゴンに提示しその後各州スルタンと協議し
首相指名だが今回は114名の議員が8-20にアゴンに謁見し決定
10代目 アンワル・ビン・イブラヒム(2022-11-24)
GE15総選挙 https://amba.to/3gASvB6