★マレーシアの歴代首相 | ★良く言えば融通利く=悪く言えばいい加減★真面目な人はストレス溜る ★いい加減な人は楽しめる★それがマレーシア★ははは

★良く言えば融通利く=悪く言えばいい加減★真面目な人はストレス溜る ★いい加減な人は楽しめる★それがマレーシア★ははは

★自分の予定・価値観に拘る方はマレーシアは合わない★多民族国家で価値観に多様性があるから面白い★2013-5からKL在住★2013-9にマレーシアで父親死亡し葬式はマレーシアでした★現在母親ときつねと3人暮らし

記事内容

●首相選出規定

 

●初代 トゥンク・アブドゥル・ラーマン

 ニックネームはトゥンク、独立の父、建国の父

 

●2代目 トゥン・ハジ・アブドゥル・ラザック

 5-13事件や日本赤軍KL事件等々でかなり苦労

 新経済政策取り入れたマレーシア発展の父

 1973-1に国民戦線(BN)組織化し政治的安定確立

 6代目ナジブ首相は彼の長男

 

●3代目 フセイン・オン

 1981-4-20発布の国民統合信託スキーム発表した協調・統一の父

 

●4代目 マハティール・ビン・モハマド

 マレーシア近代化・民主化の父

 6次内閣まで作った最長内閣

 ブミプトラ政策を強力に推進

 各州スルタンの影響力削ぐ為に反対押し切り憲法改正

 

●5代目アブドラ・バダゥイ

 公務員改革、汚職一掃に特に注力

 首相夫人の母親は日本人

 

●6代目ナジブ・ラザック

 1MDB問題で延々と裁判中

 

●7代目マハティール再登板(2018-5-9)

 2018-5-9のGE14総選挙でPH大勝で首相に再登板

 マハティール降板(2020-2-14)

 

●8代目 ムヒディン(2020-3-1)

 マハティール降板で今回は総選挙での交代ではないので複雑

 ムヒディン降板(2021-8-16)

 

●9代目 イスマイル・サブリ(2021-8-21)

 ムヒディン降板で総選挙での交代ではないので複雑

 

●10代目 アンワル・ビン・イブラヒム(2022-11-24)

 

*****************************

マの政党・選挙制度・選挙 https://amba.to/3nNH7m0

マラヤ連邦・マレーシア連邦 https://amba.to/2rQFjeH

*****************************

 

首相選出規定

憲法規定で下院議員(220名)の半数以上の議員が

書面で直接アゴンに提示しその後各州スルタンと協議し首相指名

 

初代トゥンク・アブドゥル・ラーマン(Tunku Abdul Rahman)

ニックネームはトゥンク、独立の父、建国の父

1903-2-8クダ州アロー・スター生れ

1957-8-31~1970-9-22迄の初代首相

マレーシア独立時はマレーシア半島部は勿論のこと

サバとサラワクの帰属問題あったがその解決に尽力

1990-11-6に87歳で死去し墓所は生まれ故郷のアロー・スター

 

2代目トゥン・ハジ・アブドゥル・ラザック(Tun Abdul Razak)

5-13事件や日本赤軍KL事件等々でかなり苦労

1922-3-11パハン州クラウ・クラディ生れ

1970-9-22~1976-1-14迄の2代目首相

晩年はロンドンで白血病治療を行ったが1976-1-14死去

 

新経済政策取り入れたマレーシア発展の父

1971策定の新しい経済政策とは

民族間の所得格差が原因で起こった様々な暴動事件を踏まえ

民族間の経済格差の解消を目標としていた

つまりこの政策がブミプトラ政策の土台となる

この民族紛争で最悪だったのが

1969-5-13の死者196名、負傷者439名のティガ・ブラス・メイ

 

1973-1に国民戦線(BN)組織化し政治的安定確立

 

6代目ナジブ首相は彼の長男

 

3代目フセイン・オン(Hussein Onn)

1981-4-20発布の国民統合信託スキーム発表した協調・統一の父

1922-2-12ジョホール州ジョホール・バル生まれ

1976-1-15~1981-7-16迄の3代目首相

弁護士だった彼を1968に政界復帰させたのは2代目ラザック首相

ラザック首相の急死受けて3代目首相に就任

1996-5-29に68歳でサンフランシスコで死去

 

4代目マハティール・ビン・モハマド(Mahathir bin Mohamad)

マレーシア近代化・民主化の父

政策根本はルック・イースト政策と民主的イスラム国家建設

アジア通貨危機を乗り越えて急速な経済成長を果たしたが

ペトロナス・ツイン・タワー、KLIA、北・南間高速道路建設

ペナン・ブリッジ、プトラ・ジャヤ開発等のプロジェクト企画

アジア通貨危機時の政策は他の東南アジア諸国とは全く異なる

1USドル=RM3,8という固定相場政策で成功

 

6次内閣まで作った最長内閣

1925-7-1クダ州アロー・スター生れなので

トゥンク・アブドゥル・ラーマン初代首相と同郷

1981-7-16~2003-10-31迄の22年間在任

 

ブミプトラ政策を強力に推進

●ブミプトラ政策は、マレーシア最悪と言われる

 1969-5-13の中華系とマレー系の経済格差に対する鬱憤による

 民族衝突事件(5-13事件)を背景として採られた政策

 ブミプトラ政策については批判も多く

 甘やかし政策だからやめろという単純な問題でもないと思うが?

 この辺りの舵取りはかなり難しい

 マハティールが打ち出した印象があるが民族衝突事件を元に

 2代目トゥン・ハジ・アブドゥル・ラザック首相が

 最初に提唱して引き継がれてきた政策であり

 経済成長に伴う財政状況好転により強力に推進された

 

●以下は俺の勝手な感想

 2015時点で僅か45年前の民族衝突という最近の出来事で

 年配の方々の多くは鮮明に記憶に残ってる

 現に総選挙開票時には外出を控えるようにとも言われた

 

各州スルタンの影響力削ぐ為に反対押し切り憲法改正

スルタンは免訴特権や影での政治力維持してきたので邪魔?

各州スルタンがマハティールに騙された?という逸話もあり

 

5代目アブドラ・バダゥイ(Abdullah Badawi)

公務員改革、汚職一掃に特に注力

●アンワル元副首相兼財務相の権力乱用罪服役で

 後継者トップに躍り出た経緯があり

 ミスター・クリーン、ラー叔父さんと呼ばれ人気があった

 汚職一掃、公務員改革というとマハティールを思い浮かべるが

 総仕上げをしたのが5代目首相のアブドゥラ・バダゥイ

 

●当初は国民戦線結党以来の高い議席占有率獲得したが

 2008総選挙で1957独立後最低の議席占有率63%で辞職

 1939-11-26ペナン州クバラ・バタス生れ

 20003-10-31~2009-4-2迄の5代目首相

 

首相夫人の母親は日本人

イスラム教師の父とイスラム学校創設の祖父の下で育ったせいか

信仰心が厚く、温厚、誠実、清廉と評価されるが

一方でリーダーシップ不足との評価もある

 

6代目ナジブ・ラザック(Najib Razak)

1MDB問題で延々と裁判中

1MDとはワン・マレーシア(1MDB)という政府系ファンドだが

負債RM420億と巨額で放漫経営問題でGE14総選挙敗北

1953-7-23パハン州クアラ・ラピス生れ、2009-4-3から6代目

父親は2代目首相のトゥン・アブドゥル・ラザック

叔父が3代目首相のフセイン・オンと政界のエリート家族出身

 

7代目 マハティール再登板(2018-5-9)

GE14総選挙 https://bit.ly/3RJLTAo

2018-5-9のGE14総選挙でPH大勝で首相に再登板

世論調査機関のムルデカ・センター調査では

マハティール首相支持率71%

国が正しい方向に動いていると答えた割合55%

(前回調査はナジブ政権下の2018-4で38%)

 

右が8代目ムヒディン・ヤシン(Muhyiddin Yassin)首相

 

イスタナ・ネガラ(Istana Negara)で国王への謁見

 

マハティール降板(2020-2-14)

 

8代目 ムヒディン(2020-3-1)

マハティール降板で総選挙での交代ではないので複雑

外野の俺がどうこう言う資格無し

概要は右記 https://s.nikkei.com/362MTrs

 

ムヒディン降板(2021-8-16)

連邦議会下院(定数222)で過半数の支持を失ったとして

8-16にアブドラ国王に謁見し辞意表明だが約1年半の短命内閣

連邦憲法により内閣も総辞職

国王は次期首相が決まるまでの暫定首相にムヒディンを任命

 

9代目 イスマイル・サブリ(2021-8-21)

ムヒディン降板で総選挙での交代ではないので複雑

憲法規定で下院議員の半数以上の議員が

各々書面で直接アゴンに提示しその後各州スルタンと協議し

首相指名だが今回は114名の議員が8-20にアゴンに謁見し決定

 

10代目 アンワル・ビン・イブラヒム(2022-11-24)

GE15総選挙 https://amba.to/3gASvB6