【福岡長期出張記】雑多と在日についてアレコレ | MIMIZUの底辺ぼっちBlog

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言語性IQ<動作性IQ差26のASD亜型とADHD。生きづらいポンコツタイプ。

ちょ、ちょ、ちょっとーッ!

たまたまテレビつけたらコレ!


え…

先週から喉痛→発熱→鼻水→咳→治癒(←イマココ)のMIMIZU。

謎って何???

ヤバいやつ?


こっちさ、あちらのお国が近いから黄砂とかダイレクトじゃん?


東南アジア系の移民もものすごい多いのよ!

とある地域なんて、すれ違う人ほぼ移民!

もう海外に来てる錯覚起こすぐらい!




でね、やたらと見るのが人権人権人権…




MIMIZUが育った東北ってね、部落とか差別とか、同和とかってないからか、教わることがなかったの…

東京来てしばらくしてから知ったわ。




へぇー

過去にどんな歴史があったんだろ?

…と興味本位で調べたらすっかりハマった!



たまたま電柱にあったコレ↓



勘の良い人ならお察しの通りッ!
“帰ろうとする人々”は、そう!
石炭採掘のために日本に連れてこられた炭鉱労働者!


いろいろあった…
敗戦後、約500万人の日本兵が帰国。
それと入れ替わりに中国や朝鮮に帰国出来るってことで炭鉱労働者以外に西日本全体からも在日朝鮮人、在日中国人が集結してそれはそれはカオス状態だったらしいわ…

で、その数万人が帰国船を待つために港周辺(石堂川周辺)で寝泊まりをすることになる。
そうこうしてると釜山で発生したコレラが日本に持ち込まれ劣悪な環境化で爆発的に大流行!

帰国事業中断…

帰国事業の再開を待ってる間に空き地や川沿いに廃材なんかを拾い集めてバラック小屋を建築し暮らし始めた…
これが、電柱に書いてある難民キャンプと言われていること。

国土地理院地図で1945〜1950年の航空写真


電柱があるのは韓国系の川沿いだった。

名残があったのは東側の北朝鮮系。

今は公団がいくつも建ってる。
市営博多千代住宅…



一階は商店街があったものの、ほとんどシャッターが下りてた。




ん?
よく見ると韓国料理のものばかり!


(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-
名残だ!
さらに近くにもッ!



さらに進むと、墓地の隣に教会?
これも名残だね!





こちらは県営市営の浜松住宅…

街の景観、河川の汚濁、防災とかを理由にバラックを排除されてココに引っ越すことになった。

これは建て替えられた現在の姿↑


1961〜1969年頃の航空写真…
当時は長屋で金平団地と呼ばれていた。


ココと後で行く馬出住宅は県営市営ながら日本人の募集がなかったそう…
在日優先住宅ということね…


ちょっと前まであった朝鮮学校跡には新しいマンションが建っていた。


この塀は九州大学病院との境にある…
なんか歴史を感じる。

 


塀と塀の間に民家…



火事になりそのまま放置されてるようだ。



この辺も名残かな…



ん?
斬新な手書きの求人が…Σ(゚ω゚ノ)ノ
ちょいちょい誤字脱字あっておもしろかった!







ここはおそらく、ドヤ的な?




川沿いには鴨やクロサギがいて癒される!





続く