大日大神(ドンブラン)のつづき
大日大神を過ぎてからも急登は続く。
参道らしく祠がいくつか確認出来たけど、ほとんど倒壊していた。
猛暑の中黙々と登り詰めてたので、写真を撮る余裕なし。
会所を通り過ぎて
神域を示す結界が張られ、一礼して進んだ。
これがMIMIZUが三年間思い続けてた天祖山、天祖神社。
感極まり泣きそうになった。
すごいね〜♪
思い続けたら叶うんだね!
まさか、あのイヤイヤ行ったクソイベントで出会った人たちと来るとは思ってなかったわ。
何度も計画を立てたし、過去に誘った人もいたけど縁がなかったんだろね。
天祖神社裏から一気に標高を下げてランチ休憩。
暑さで食欲なかったけど、頑張って食べた。
そして地味に登り返し降って「梯子坂のクビレ」
昔はここから〝裏参道〟だったの!!
今は採掘されて崩壊しちゃったって。
所謂、廃道ってやつかッッ❤︎
登山道と言うより植生についての地図だけど貴重!!
その石灰を巡って天祖山論争ってのがあったんだ!
奥多摩には有効な過疎対策がなくてね、仕方なく開発を認めたけど、今となっては過疎対策にはなってないよね?
露岩の景勝地であったトボウ油面を中心とする日原…
1960年、天祖山鉱床開発計画が具体化され準備工事に入ったの。
中間貯鉱槽として工事をしてたら三又鉱床にかなりの鉱量が確認されて、天祖山はしばらく見送りになったんだ。
1972年4月、都の水源かん用林用地が石灰石開掘業者(現 奥多摩工業)に貸付られた。
7年の貸借契約のはずが…
当時の採掘は34年計画になっていた(゚д゚lll)
73年8月、準備工事。
三又鉱床に運ばれ、既設のトロッコで氷川工場へ。
再び適当な大きさに砕かれ国鉄青梅線を利用して出荷してたらしい。
三又鉱床近くで見た蜘蛛の巣だらけの索道の搬器。
かなり浅め。
でかい石灰塊をゴロっと運んでたか、鉱石用ではないのかわからない。
74年秋に燕岩鉱区で本採掘。
75年に立岩鉱区で本採掘。
奥多摩工業は残壁の緑化復元に、客土による植樹と種子吹付をしてるんだけどさ、
ブナの原生林も立派な露岩も二度と戻らないんだよね…(>_<)
当時はこんな記述があった。
天祖山破壊調査コース!!
天祖山は江戸時代「白石山」と呼ばれてたの。
石灰が白かったからだろうね!
明治初年、天学教の霊山となり「天祖山」に山名が変わった。
山頂に天祖神社が祭られ、表参道には会所と大日大神が鎮座。
戦後の神道離れ、周辺の都市開発で信者のほとんどが農業をやめちゃって、
農民救済に重きをおいていた天学教は次第に衰えていったんだって。
現在は毎年8月某日には奥多摩工業関係者や青梅警察による登拝が行われている。
今は鉱山のベンチカットを車で登り詰め、楽々で山頂に行けるルートがあるんだってさ…(2017年7月某日 日原住民より聴取)←秘
つづく













