突然の兄の死は、

私にも凄まじいショックを与えました。

離婚の準備は整いつつありましたが、

一声をあげる勇気がでず、一日また一日と延ばしおり、

兄に相談するのも、兄をがっかりさせそうで、

たまに会うときに、冗談めいて匂わす程度しかできませんでした。

子どもを第一に、病気の子を片親にするな、

と真っ当に私を諌めるのがわかっていたからです。


兄が亡くなり、

私は離婚に向けて走り出しました。

我慢させている間に、私は死んでしまう。

娘を元夫に育てさせるわけにはいかない、

今すぐ!と思いました。


兄は、私の長男に、

自分の話をよくしていたそうです。


おじさんは、勉強は好きではない。

漫画読んだり、映画見たり、

ゲームしたり、遊び暮らすのが好きだ。

おじさんは生まれ変わったら、

好きなように生きるよと。

お前も好きなようにに生きなさいよと。


確かに、兄は何でもできるからこそ、

周りに異常に期待されてきました。

優しい兄は周りの期待を裏切れなかった。

若くして、恐ろしく重い荷物を背負い、

若くして亡くなりました。


誰からも愛される

素晴らしく優秀な医師として。


息子は元夫の希望通りの中学に合格しましたが、

両親が離婚、

私と妹との慎ましい暮らしの中、

好きなように好きなことだけをして6年間を過ごしました。


高三になっても部活に夢中。

勉強は全くせず。

私も好きなようにすればいいと思っていましたが、

ただ経済的に浪人はさせられない。


しかしながら、

高三の冬に、

担任の先生から、

多分、浪人ですよと言われました。


息子に浪人はできないと改めて伝えると、

僕は受験勉強はしない。

入れるところへ入る

とふざけたことを言われました。


その時、

どんなに嫌なことを頑張っても、

人は死ぬんだから、と彼は言いました。



兄の死が、兄の存在が、

彼にそう思わせたのでしょう。




時間軸は前後しますが、

長男は本当にマイペースで、

生まれながらに、人の事が気にならない性格です。


苦難は乗り越えられる人にしか来ない理論は、

私は大嫌いですが、

長男の性格はまさに、

難病の妹を持つ兄としては、

ありがたいと何回も感謝しました。


何しろ、

自分が好きなことを好きなようににしたいので、

好きなことをやっていれば、

嬉々として楽しめるのです。


突然、兄のうちに預けられても、

兄のうちには、従兄弟がたくさんのゲームを取り揃えており、

毎日毎日ゲーム三昧で、明るく楽しく過ごせました。

あの1年、

亡くなった兄と義姉は、自分の子と同様に、

息子を育ててくれました。

たまに元夫が迎えに行っても、帰りたくないと言い張ったそうです。


頼れる両親がいない私にとって、

兄はいつも親代わりでした。

たいしてとしもはなれていません。

兄はスポーツ万能、小さい頃から頭もよく、

奨学金で国立大学の医学部を卒業し、

医師になりました。


両親が頼りないからこそ、

勉強して、道を拓くという方法を、

身をもって教えてくれました。

病弱だった母の期待に応えて医師になり、

私のことも請け負ってくれました。


亡くなる前も私のヒーローだった兄は、

若くして亡くなり、

いよいよ、私にとっては手に届かない存在になりました。


兄に育てられた一年は、

長男に大きな影響がありました。

良くも悪くもです。


兄は能力も人格も素晴らしい人でしたが、

若くして亡くなりました。

完全に過労死だと思います。


長男は中学受験の前でしたが、

ただただ無表情に呆然としていました。

眠っているようにしかみえない叔父さんのとなりに座って、

何を思ったのかは、

後々に聞く事になります。







長男が4歳で生まれた長女が、

いきなりの危篤。

それからずっと、元夫にとって、

娘は不良品でした。


娘の看病に明け暮れ、

病院に寝泊まりする日々。

見舞いにも来ない元夫に絶望し、

娘の病気が落ち着き、

私が仕事ができるようになったら、

離婚しようと決意しました。


私はいい、

でも、この小さな子を疎むことは許せませんでした。


長男は私の唯一の肉親の兄のうちに預け、

私たちは一年近く入院しましたが、

ただ、働く俺様は立派だと主張する元夫は、

私たちが運良く退院しても、同じでした。


一番大変なのは娘、

次に大変なのはいきなり母がいなくなり、

従兄弟と揉み合いながら過ごした息子。


なのに、俺はなんで不幸なんだ、

と言い、赤ちゃんの娘を恨めしくみる姿は、

今も、最低な父親だと思い出します。


仕事さえあれば、

今すぐにでも、と思いながら、

全てのお金を牛耳る元夫の前に、

先立つものがなさすぎました。


病気の子を路頭に迷わせられない、

でも、しっかりと離婚予定日は決めていました。


息子が小学校を卒業するまで。

それまでに娘の病気を治し、

離婚するから!


心の中でいつも宣言しながら、

色んなことを受け流しました。

人としての心を保つために。


それだけがあの時の希望でした。