もうはるか昔のことになってしまいましたが、
26歳になる長男は、小4からサピックスに通いました。
母子家庭でサピ?ではなく、
ギリギリ思い留まり、入学してから別居しました。
これは計画していた訳でもなく、
準備が整い次第、と思っていましたが、
兄が急死したり、娘が入院したりで、
結局、実行できたのが、息子が14歳になる直前でした。
息子は今思えば、かなりのグレーゾーンの子だったように思います。
サピックスの300名の保護者の集まる会?でも、
明らかに息子の話が出ていました。
駅まで送る時に、必ず空き缶蹴る子がいると。
その子は元気いっぱいでいつもしゃべってる。
何人も引き連れていつもふざけている。
宿題をやらない、プリント忘れる。
実は私も、本人が希望したとはいえ、
4年生でサピックスに入れたのは、
その方が家にいないから、という理由も大きく。
それくらいに騒がしい子でした。
でも、預けられたサピも大変ですし、
他の子の迷惑になれば申し訳なく。
ですが、すごく怒られたのかもしれないですが、
なんとか馴染んで、楽しく通っていました。
その時も日記を書いていましたが、
とにかく宿題をやらせるのが大変すぎるということに終始します。
私の方は、兄の死や、娘の病気と、
離婚への準備で忙しく、気もそぞろで、
息子はごはんを食べさせて、学校行かせて、
サピに行かせて、ごはん食べさせて、
という繰り返しでした。
中学受験は、あの騒がしい子の有り余るエネルギーを勉強に昇華させてくれて助かりました。
経済的には、その当時は元夫が嬉々として払ってくれたので、大変お金はかかったと思いますが。
ケチな元夫が嬉々として払った理由は、
息子が飛び抜けて良い成績だったからです。
今はどんなシステムかわかりませんが、
入塾以来、ずっとα1という1番上のクラスで、
なかなかもらえないという金メダルをよくもらってきていました。
それは多分、ほんとに、
彼が1番勉強で輝いていた時です。
無事第一志望に合格しました。
中1で、超ど貧乏な私についてきたからには、
お友達諸君がいく、鉄緑なるとこには行かせられないし、
新しい遊びを手に入れた彼はもはや、
勉強なんかするわけもなく。
遊ぶお金欲しさに、近くのコンビニで3年間アルバイトしていました。
テニス部でバリバリの部活と、高三になっても、
コンビニでアルバイト。
進級も危ぶまれるくらいの深海に沈みました