いつまでも学生じゃないんだぞ的なことを言われたがその言われた数分後に私は働きにでかけて今は休憩中。家賃も生活費もすべて自分でやってて親への借金(学費などなど)も毎月少しずつ返しているしどこがどう学生なのかはわからんけど強いて言うなら小学生気分です。いつまでも子供なのです。
ストイックにこしたことはないけどそれでは潰れてしまう人だっている、のびのびやんないと何も生まれないタイプなんだけどな、自分ができることを相手に求めるのは仕方のないことか。
皮膚から内側が自分で皮膚から外側が世間という金原ひとみの言葉がすきなんだけど、自分と世間は全然違う、世間をかいしてまた新たな皮膚に届いて内側へ行くと世間の中に含まれた他人という存在があってそれもまた自分とはまったく別物なんだもんなあ。なんで。なんでだー、わかりあえぬ、辛い。
わかり合うってことはきっと許しあう認め合うってことだけどわたしは多分そのへんの人より他人を許したり認めたりするのが苦手、です、心が広くないと言ったらそれまでだけどきっとそれだけじゃないんだよ、信頼してるからこそこの私を許させてみろ、認めさせてみろ、という思いが少なからずあるもの、それは傲慢なことなのかなあ。
いろんな人のいろんなところがすきだけどいろんな人のいろんなところが嫌いだ、私を不快にさせやがって何様のつもりなんだ、わたしは、わたし様だぞ。気持ちだけで保ってきた部分が、時間が、気持ちがなくなってしまったらどうなるかくらいわかっていたのに、それはすきでもきらいでも何でもよくて気持ちがあればそれだけで動けたのに、憎いでも愛しいでも何でもいいのに、今は無で、よく好きの反対は無関心とかって言うけど、ここから向こう側まで、これから生きていく上で歩いたり走ったりして、なんとか180度回れたとしても、そこに感情があるのかわからない。

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