人と人との付き合いってすごく大事だなと思います

 

 

よく小さい子に親が

「あの子とはもう遊んではいけません」

 

なんていうことがあると思います

 

 

 

親が自分の考えで子供の友好関係を決定してしまうのもどうかと思うけれど

 

でもこれは自分の身近にいる人が自分にどれほどの影響力があるかを知っているからこそだとも思います

 

 

 

類は友を呼ぶ、という言葉がありますが

自分と全く同じなんてことは絶対にありません

 

自分と境遇が似ていたり、考え方が似ている人もいるでしょう

 

でも、それ以上にその人と長く付き合いたいと思うか、ずっと友人を続けられるかは、

 

その人のことを尊敬することがあるか、という面が大きい気がします

 

 

 

例えば、気が合って趣味も似ていて育ってきた家庭の環境も似たような二人がいます

 

お互いに唯一無二の友達だと思って二人は一緒に旅行に行ったり、ご飯を食べに行ったり交友関係を深めていきます

 

ですがもし、そのうちの一人が時間にルーズだとしたらどうでしょう。

 

日本は時間に厳しいとはよく言われます

 

電車の待ち合わせの時間にもギリギリや遅れてきたりしたら会社では許されません

 

もちろん友人間でもそういったことに厳しい人の中には許せないとその時点で縁を切る人もいるかもしれません

 

でもそうでない人の中にはこう思う人もいるでしょう

 

「ああ、この人はそういう人なんだ、まあ仕事じゃないしその間に時間を潰せば少しくらいいいだろう。

こんなに気が合う人は珍しいし、自分が少し我慢すればいいことだ」

 

そう思ううちに相手が遅刻することに慣れ、自分も相手がどうせ遅刻するからと少し遅めに家を出るようになるかもしれません

相手を待っている間自分は暇になってしまうわけですし、相手を責めることも面倒です

 

誰だって待たされるのは気分のいいことではありません

 

でも、その相手じゃない人と待ち合わせをした時、自分が5分前に集合場所に来たのにその時の相手がすでに集合場所にいた時自分はどう思うでしょう

 

「どうしてこの人は自分より前に集合場所にいるのに、あの人はいつも自分を待たせるのだろう」

 

ここでは例に集合時間を用いましたがラインなどのSNSのやり取りなども同じだと思います

 

忙しくてメッセージを返す暇もなかった

 

物理的に携帯電話などのSNSをやり取りする機器が手元にない場合を除いてそんなことは言い訳だと思っています

 

返信をするのに面倒くさい内容なのか、どうでもいいやり取りなのか、

それともあなたのことを大事に思っていないか、

 

そうでなければ時間はともかく現代人ならば一日に一回は携帯を開く機会があると思います

 

その時に返すことができないのは、自分はメールチェックさえまともにできない無能だと証明しているようなものだと思っています

 

もし自分が大事に思っている、もしくは大切にしていてこれからも付き合っていきたいと思う人の中にこんな粗雑な対応をする人がいたらその人はあなたを大事に思っていません

 

あなたがそれに振り回されることは時間と気力の無駄です

 

相手はなにも思っていません

 

そんな人は自分から縁を切ることです

 

 

 

あなたがその相手を許すことで、それがあなたの基準になってしまう前に