学校のプラネタリウムを掃除していたら古い機械を見つけた
その機械に貼ってある情報によると納品をした年は1991年
なんと納品日は12月25日だった。クリスマスに納品するなんてまるで誰かのクリスマスプレゼントだった物のように感じた。
1991年とプラネタリウムという単語から実写版の秒速5センチメートルを思い出した
あの映画にもアニメ版では見られない貴樹君がプラネタリウムで働くシーンから始まる。
「プラネタリウム」この言葉はラテン語で「プラネット」つまり彷徨う、放浪するという意味と「アリウム」その装置がある場所などという意味が合わさって出来ているらしい。星は同じ場所でいつまでも燃えているから、目指すべき果てや目標、羅針盤の指標などのようなイメージを僕は持っている。
有名な例で言うと、よだかの星という宮沢賢治のお話がある。孤独になった夜鷹がカシオペア座に向かって飛び続けいつしか星になって冷たい宇宙で青く燃え続けるという話だ。
秒速5センチメートルもよだかの星も孤独になって彷徨い続けて答えをみつける話だ。アニメ版の秒速5センチメートルにも次のようなセリフがある。
「それは本当に、想像を絶するくらい孤独な旅であるはずだ。本当の暗闇の中を、ただひたむきに、1つの水素原子にさえ滅多に出会うことなく、ただただ深遠にあるはずと信じる世界の秘密に近づきたい一心で。僕たちはそうやって、どこまで行くのだろう。どこまで行けるのだろう」
人生も同じようなことだと思っている
僕たちが心とか愛とか言うものは永遠じゃないし、
その気持ちとか言うものも似たような感覚を生むことはあっても、その感情は今生まれたもので完全に一致しているものではない。
当たり前だけどそれは僕たちの想いや信念が完全には伝わらないということだ。
だから僕は、一個人の短い人生でどれだけの言葉や心、信念を不完全ながら伝えられるかが大切なことだと僕は思っている(ブログも半分ぐらいその為かもしれない)。
人だけじゃなく建物や雰囲気にもそれは宿るんだと感じている。
だから正確ではないと思うけど1991年がどのような匂いがするのか
その雰囲気が少しわかるような匂いこの機械から感じられる気がする。
人間の文明は信念含めテセウスの船のようにツギハギしてできているんだ。
だからその時代に自分が生きていなくても、言葉遣い、雰囲気、香り、建物の黄ばみ、色などでなんとなくだが確実に見たことないがちょっと前の時代がどんな時代だったかを想像したり懐かしむことができる 。それは時代と共にその匂いが残っている場所が少なくなり、小さい頃の方がその匂いを嗅ぐ回数が多いからその時代も少し懐かしく感じる。
想いを船に馳せた星たちを目印にして人類の船は今日も進んでゆく。
古い機械はもう壊れて動かなくなってしまったけども
誰かの美しい思い出になっているのなら十分なのかもしれない
人間が星になる時思い出も一緒に燃え続けるのならその時その思い出が何色になるのかは少し見てみたい気もするが…
とりあえずその雰囲気が僕に伝わったことは確かなことなのだ。



