やっちゃってる先輩2 | No pain,No gain

No pain,No gain

大阪の3ピースバンドPainsリーダーのブログ。音楽、趣味や日常について綴っていきます。晩酌中の執筆が多いので辛口御免。
ビジネス関連のブロガーさんは申し訳ありませんがスルーさせて頂きます。

こんな白昼夢を見た。

 

 

金曜日、最終の荷下ろし。もう日付は変わって土曜日の明け方だが、長らく顔を合わせていなかった別会社の運転手Kと顔を合わせる。

 

「Yさんの代わりで来たんよ」Kは事も無げに言った。

 

Y先輩(やっちゃってる先輩)が仕事を休んだのを僕は見たことがない、元阪神の金本や鳥谷と並ぶほどの鉄人だと思っている。

 

腰でも痛めたか?それとも、ついに人を殺め良心の呵責に苛まれているのか?荷下ろしを終えた僕は真相を確かめるため、会社の事務所に向かった。

 

 

明け方の事務所は無人なので、事務員の机から社員名簿を簡単に見つけることができた。Y先輩の家は港区にあるらしい。

 

マンションの前に到着したのは午前6時、古いが大きな建物だ。

 

エレベーターで6階に上がると先輩の住む部屋のドアの前に立った、呼び鈴を鳴らすが反応はない。

 

83回呼び鈴を鳴らし、ドアを25回ノックしたところで憔悴し切った表情の先輩が出てくる。

 

「お前キチガイか?」先輩は呆れきってそう言った。

 

「先輩、遂にやってしまったんですね。一人で悩んでいて辛かったと思います、僕も一緒に行きますんで自首しましょう」

 

先輩はいつも通り無表情だったが瞳の奥が僅かに揺れたのは確認した、何らかの反応はあったのだ。

 

「自首?なんで俺が警察いかなあかんねん、何も悪いことしてへんのに」と先輩はとぼけている。

 

「先輩が今まで仕事を休んだことなんてないじゃないですか?他人の人生なんて露ほども顧みず、ひたすらに己の食い扶持だけを守ってきた。そんな先輩が仕事を休むなんてただ事じゃない、僕が納得する答えを教えてください」僕がそう言うと、先輩は少し気恥ずかしそうに口を開いた。

 

 

「胃潰瘍なってもてな」

 

 

晴天の霹靂だった。胃潰瘍?この男が?誰かを胃潰瘍にするのなら分かる、胃潰瘍にする側の人間が胃潰瘍だと?僕は不意に怒りが湧いてきた。

 

「先輩、ふざけないでください!先輩が胃潰瘍になるわけないじゃないですか、とぼけてないで本当の理由を教えてくださいよ」

 

僕は先輩に掴みかかったが、その時先輩の表情は一瞬苦悶に歪んだ。

 

「お前しつこいんじゃ、いい加減にしろ!」

 

先輩は右ストレートを僕の顔面に叩きこむ、衝撃で僕はドアの前の柵まで吹っ飛ばされた。なんて腕力だ。

 

 

先輩が電話で呼んだ救急隊に起こされ、僕は意識を取り戻した。担架に乗った先輩が運ばれて行くのが見える。

 

「あなたも病院で手当てを受けますか?」と聞かれたが断った、確かに左頬は腫れ上がり後頭部にはコブも出来ていたが僕は病院が嫌いなのだ。

 

マンションの前に停めていた車で救急車の後をつけていった、救急車は先輩の家からすぐ近くの総合病院に入っていく。

 

 

先輩が担ぎ込まれた病室の前で一時間ほど待ち、担当の医師が出てくると僕はすかさず詰め寄った。

 

「先生、先輩は胃潰瘍なんかじゃないですよね?原因は何だったんですか?」

 

老齢の医師は目を見張ったまま僕を見て静止していたが、やがて静かな口調で語りかけた。

 

「今の患者さんはあなたの先輩ですか?完全な胃潰瘍でしたよ」

 

嘘だ、あんなに自分勝手でストレスフリーに働いている先輩がストレスなんて感じるはずがない。驚愕の表情で凍りついた僕に医師は続けた。

 

「あの人は恐らくとても几帳面なのでしょう。だから自分の思うようにいかない時は苛立ち、恐らくそれがストレスになる。見た目とは裏腹に、実はとても繊細な人なのかもしれませんよ」

 

そうだったのか。でも先輩がいつもイライラしているのはもしかすると慢性的な胃潰瘍から来るものだと思えば、納得できなくもない。先輩は僕以上にこのクソのような業界で憂き目に遭ってきている、そうなっても仕方のないことかもしれない。

 

「今薬を飲んでもらいました。間もなく眠りが訪れると思いますが、まだ少し時間はあるので良ければ優しい言葉の一つでも掛けてあげてください」医師はそう言い、僕の肩に手を乗せると去って行った。

 

 

病室に入った僕に気付くと、先輩は横になったまま片手を上げた。僕はベッドの横の椅子に腰かける。

 

「先輩、本当にすいませんでした。まさか先輩がそんなにヤワだとは思ってもみなくて」

 

「いやいや、どうせ入院せなあかんやろなとは思ってたから丁度良かったのかもしれん。あんまり気にすんなや、それより殴ってすまんかったな」

 

先輩はそう言うとしばらく虚空を眺めていたが、思い出したように付け加えた。

 

「俺の家の鍵持ってきたか?中に猫が何匹かおるんやけど、入院してる間に餌をやっといてくれへんか?しばらく家には帰れんやろから」

 

「あ、鍵なら一応かけておきました。入院中の着替えとか、良かったら後で持ってきましょうか?」と僕が言うと先輩は少しだけ笑って言った。

 

「一応、財布だけは持ってきたから大丈夫や。下着とかは病院で買えるやろ、それより猫の餌だけは悪いけどしっかりやっといてくれ」

 

先輩の家から流れ込んできた空気に、動物の匂いが混じっていたのを思い出した。先輩が退院するまで、毎日猫に餌を与えてついでに掃除もしておこうと僕は思った。

 

「俺には友達なんか一人もおらんからな。お前がこうやって隣におってくれたら、なんか知り合いが見舞いに来てくれたみたいでちょっとだけ嬉しいわ」そういうと先輩はまた少しだけ笑った。

 

僕はしばらく言葉に詰まり、うつむいたまま言うべき言葉を探していた。

 

 

「先輩、バカな後輩で本当に」

 

僕がそう言った時には先輩は寝息を立てて眠っていた。戦う男のほんの短い休息のような気がした。

 

僕は再び言葉を失い、何気なく窓の外を眺めると海の上に大きな入道雲が見えていた。

 

「もうすぐ夏が来るんだな」そう思った。