先日、衝撃的なレッスンを目の当たりにした。記憶が新しいうちに、私なりにここに綴ってみようと思う。

それは私の師、大野眞嗣先生によるレッスンでのこと。言葉にすると逃げてしまいそうなほどに貴重な時間。生徒の方も、先生のもとで長年修行を積まれた非常に鋭敏な感覚をお持ちの方で、とても高い次元でのレッスンであった。

近頃の私は先生の影響で、絵画に陶酔している。とにかく絵が好きで好きでたまらない。ピアノを弾く時間よりも長く絵を見ているかもしれない。未熟な私なりに色々なことを感じているのだが、そのレッスンではまさに絵画と音楽が融合する姿を見たようだった。

その日はスクリャービンの作品。先生はレッスンが始まると、まるで漫才師のように次から次へと音で語っていく。

言の葉をつけるならば、宇宙の果てしなく遠いところまで、ぐーーーっと伸びていく響き。

彗星の尾のような響き。

透明なグラスをイメージする音。

ときにはシャボン玉のようにパッとして消えてしまうような音。

線香花火が一瞬の光を放ち、しかもそれが黄金に輝くように。これは、ある日本画家の描く線香花火の絵を見たときに先生がひらめいた音色。

鏡と鏡を向かい合わせたとき、どこまでも続いて果てしない永遠を思わせるかのよう、では永遠に終わらないように聴かせるにはどうするか、そのためにはどういう音を選ぶか。

私の拙い文章で言い表すのは大変恐縮だが、とにかく広くて深い、先生の発想の豊かさを感じた。それに触発されるかのごとく、生徒さんの演奏がみるみる変化していき、新たな扉が開く音がきこえるようだった。

書き出せばキリはない!
あまくて白い生クリームのような響きや、ほろ苦いコーヒーの香り、ときには危ういハーモニーも存在した。世の中には、イマジネーションの源がたくさん転がっているわけで、曲と向き合ったときにそれがいきてくる。

先生曰く、そういう捉え方ができるようになると、前衛の音楽も見えてくるそうだ。宇宙規模で、宇宙人と交信するかのようにハーモニーをとらえていく。教科書的に捉えることとはわけがちがう。

まだまだレッスンは続く。
「それは僕には空耳っていうか非現実的なお告げの声がきこえるような表現をしたくなる。そうするとより高いところに行くでしょう?そして左手のハーモニーが浮き出てくるでしょう?すると遠くから天使の羽をイメージするようなハーモニーが聴こえてくる。」

「僕だったらそこは水面の風になびく水の波紋をイメージするかな。それ以上に無理に動かさない。だってその音域だから。それ以上動かすと下に落ちてきてしまう。するとミがでてきたりドが出てきたりそこで動きを表現できる。そして最後、どんどん昇華されていき、裏声になるように曲を終える。

僕だったらそうひくかな!」


まぁなんともすごい情報量。
音色に込められているメッセージが果てしないのだ!

レッスンを受けた生徒さんは、こういう風に向き合ってはじめて曲が理解できるのだろうと仰っていたが、本当にその通りだと思った。豊かなイマジネーションをもって一曲と向き合う、言葉では書ききれない哲学をたくさん教わった一時間だった。