虹の橋渡りました。 | 猫とゲームと廃人生活

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ゴミ箱、チラシの裏的な。私のクソダサイ愚痴や雑多な事を徒然と書いてます。




亜蘭がこの度、消化器型のリンパ腫により虹の橋を渡りました。

時折、こちらでいろんなお話を上げさせて頂いているのですが
私生活が忙しく、なかなか継続的に書くことが難しいこともあり
暫く音沙汰がないことも多いかと思います。

私自身あまりにも時差ぼけや日にちボケが多く
日頃から経過日数の計算が大雑把なこともあり
私が現在家で共に暮らしている猫たちを
いつ頃お迎えして、いつ生まれたのか、
月齢なども明確な記録をつけないまま
日々を彼らと共に過ごして参りました。

獣医の方にお伺いするところによると
推定九歳は迎えているのではないかとのこと。

今までずっとまだシニア世代に入る手前
くらいにぼんやりと思っていたので正直驚きました。

何せこの家に引っ越して来てから約一年か、二年くらいで
お迎えしたにゃんこだったので、私自身
仕事の都合で兵庫から別地方に猫とともに
引っ越したりすることが昔はよくしていたので
彼らと生活する歳月に若干のズレが生じていたようです。

まあ、つまるところ
我が家の猫は三年前に迎えた庵ちゃん以外は
全員シニア世代に既に突入しているということです。

ただ、まさか最高齢である黒猫よりも
数歳年下にあたるとされている彼女が真っ先に死期を迎えるとは
全く予想していなかったために、とてつもなく悲しい思いです。

病気とは本当に恐ろしいものだと肌で実感しました。

この家に一番最初にお迎えした家長とも呼べる存在であり
猫同士の争いが激化した際も彼女が真っ先に間に入り
己が身を呈して他の猫を守るという行動をする
とても思いやりと気配りに溢れた愛情深い女の子でした。

彼女が不調を来していることに気付くのが遅れ
おかしいと気づいた頃にはCT検査により
腸に大きな詰まりのような異物があると判明。

一ヶ月で何十万もの出費が嵩み、家族の協力のもと、
一時的に治療費を負担してもらう形で異物の摘出手術に挑みましたが
元々余命宣告もないままに、手術するにせよ、薬で緩和するにせよ
予後の見込みがないと先に通知を受けていたので覚悟はしていました。

何より、人間で言えば既に終末期とも呼べる状態で
日を重ねるにつれて固形のフードが食べられなくなり
流動食やペースト状の食事も一口、二口舐める程度
手術に一縷の希望を託したものの、全身麻酔による一時昏睡からの
呼吸停止、蘇生処置をして息を吹き返したものの
やはり術前からあった体力の問題で相当負担が大きかったようです。
術後の経過があまりにも悪く、当初は入院を予定していなかったのですが
数日ほど入院を決行。

しかし、それでも回復の兆しが見えず、二度目の呼吸停止。
衰弱した状態で麻酔の負担もあり、二度の呼吸停止により、
脳に障害が出ているのか、度々強いてんかんのような
痙攣を起こすようになってしまい入院中に後ろ足を脱臼するという事態に。

しかし、これ以上は麻酔による処置は命の危険が高すぎる。
と、獣医の先生からも脱臼の処置を断念せざるを得ない旨を聞かされました。

手術をしないほうがよかったのかと考えたこともあります。
ただ、リンパ腫らしき異物ができた位置が正直いってあまりにも酷く
手術をせずともどのみち排便ができず、ご飯が食べれず
最終的には衰弱死、或いは餓死する形で虹の橋を渡ることになっていたと思います。

どちらを選ぶべきか非常に苦しい選択であり
どちらを選んでも予後の見込みがないという絶望的な有り様。
脳に障害が出るくらいならばしなければよかった。
でも排便できずにご飯が食べれず、飢餓に苦しみ衰弱させることも辛い。

治療を始めてからは一日おきに点滴と注射に通い、
術前は毎日通った点滴と注射の日々。
このまま入院しててもできることが自宅療養とあまり変わらないです。
できることならお家でゆっくり過ごさせてあげてほしいと言われ5日退院。

ウォオオオンと彼女が大きな声をあげて発作が起きる度に
身体や頭をさすり、腹水や胸水が溜まり始めた胸やお腹回りを撫で
手足のマッサージや二時間おきの身体の反転による血行不良の対策。
脱臼した後ろ足がこれ以上酷くならないようにとも注意し
寝る間も惜しみ、五月の終わりから六月は全て仕事を休む形で介護に徹していました。


翌6日の午前中に通院をしたあと、帰宅してからは今までにないほどの痙攣発作の連続。
目を閉じて寝ることすら辛いのか、ずっと目を開けたまま寝たきりで
手術して本来なら食べれる食事も、できるはずの排泄をすることもなく
夜の二十二時頃に小さな声を一度、そのまま短い呼吸を数回、息を引き取りました。

発作の際は大きな雄叫びのような声を出し、苦しんでいたのに
まるで私に「そろそろ、いくね。」と伝えるような小さな声でした。
健康であった頃から何かと気配りに長けた子であり、
他の猫がやんちゃをしたときも私が叱らずともすかさず猫パンチをお見舞い。

私が食べるものにやたらと興味を示し、まるで自分が
私と同じ人間であるかのように振る舞う個性の抜群な子でした。

九年というちょっと短い人生を終えた我が娘に最大のエールを贈ります。

お疲れさまでした、私の人生はあなたよりもまだまだ続くけれど
願わくば、虹の橋を越えた先で、また出逢えますように。

亜蘭(享年九歳) 没、2024-06-06、二十二時二十一分。