任天堂の山内会長、ありがとうございました | 「仏道は遙かなり(>_<)」~在家子育て尼僧の徒然☆

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日常の出来事や、今までの間違った経験を恥ずかしげもなく綴るBlog。
こんなヤツでも仏の道を志して良いんです。
ま、自分なりに真っ直ぐに行きましょう。ちなみに日蓮宗です☆

任天堂の山内博会長が19日に亡くなられたというニュースです。。ゲーム&ウォッチやファミコン世代の人間としては胸に色々想うものがあります。

任天堂の山内前社長が死去、「ファミコン」で世界的なメーカーに ロイター 9月19日(木)19時16分配信

小さい頃、兄と一緒に夢中で遊んだ電子ゲーム。それらがあったからこそコンピュータに興味を持ち、ゲーム雑誌社、ソフトウェアの開発という仕事を選び、引き続きDTP・IT関連で培った技術で、第一線とはいかないまでも今もご飯を食べさせて頂いています。ゲームからパソコンという流れは、私に生活する力をくれました。日本のゲーム業界の開祖、山内翁のおかげ様でもあったであろうと言えるのです。
ゲーム&ウォッチのオクトパス、マルチスクリーンのドンキーコング、ファミコンならバルーンファイト、エキサイトバイク、レッキングクルーでバトって喧嘩して仲直り。あー、ファミコンの初代マリオならまだ全面クリアできると思うわ。そしてスーファミへ・・F-ZERO楽しかったな~、今もカラダが覚えてるよ。今はもう、ゲームに夢中になれなくなっちゃった・・操作が難し過ぎてねえw 課金とかでお金もかかるし。レゲー最高ですわ~にひひ
謹んでご逝去を悼み、改めて御礼申し上げます。合掌。

「仏道は遙かなり(&gt;_&lt;)」~尼僧見習い39歳子育て主婦の徒然-空

山内会長という方は、京都に生まれて22歳の若さで任天堂の社長になられました。
先代の祖父が倒れたために、早稲田大学を中退して会社を継いだのです。会社を継ぐにあたり、家族・同族経営では自分の思うようにできないので全員解雇という条件をつけたとか。思い切りの良い若者だったしまた、それを呑んだ先代さんと周囲もすごいです。DASH!

花札を作る会社だった任天堂ですが、花札では先細りだと思い、ミッキーマウスをトランプの絵柄にする権利を得てそれを爆発的にヒットさせます。プラスチックのトランプ、ウチにもあったな~。娯楽の少ない当時の遊びといえば、夜コタツで家族団らんでする花札やトランプでしたねえ。ベル

任天堂は、とにかく子供が笑顔であることを強く求め続けているメーカーです。だから怖かったり大人向けだったりするゲームは作らないし、デバイスが変わっても、その遊びを通して得られる「モノ・コト」は子供の笑顔と団らんである・・トランプの時代から全然ブレずに追求しているんですね。そういうところ、すごく好きです。
ちなみにファミコンなどのゲーム機も、子供が扱うものだからということで、ある程度高いところから落としても壊れないようにとかなり強度を保って頑丈に作られているのだとか。

また、経営者としての山内会長は、「合わないから」と経済界の人間とあまり関わりを持たず、これだけの影響力を持つにもかかわらず経済界や政治にも一切口も出さず、会社に天下りも受け入れず、京大病院に75億の私財を寄付して地域貢献したり、何のメリットも野球に興味さえないのに、シアトルに会社があったからという理由だけでその土地の球団・マリナーズの経営危機を救い、その後の経営にも口も出さない。イチロー選手が年間安打記録を達成したときは、自社株5000株をプレゼントしたとか気風の良い老人だったり。
成功だけじゃない、何度かゲーム機でコケたり経営危機に陥ったりもしたけれど、また頑張って立ち直って。その方法も、既にある技術を使っていかに安く新しく楽しく作り変えるか、だったと思う。電卓からゲームウォッチを、タッチパネルからニンテンドーDSを・・といった感じで。アイデアで無から有を生み出す魔法使いのような発想。

「経営の世界は流動的であり、いつまでも成長し続ける保証はどこにもない。そして、予想しなかったことが起きても、私は関係がない、と経営者は言えない。だから、体質を強化してなにが起ころうとも社員や取引先がショックを受けない会社をつくる、それが私の仕事だ。」

世界はどんどん変わっていくことをちゃんとわかっていて、バブルに沸いた時代でも決して投機などに手を出さなかったということです。しかも任天堂は決して借金を作らず、かつ社員を30年は食わせていけるくらいの現金を残しているとか。
経営者とは、雇っている社員だけではなく取引先とその家族の生活まで想いを致せる人間でなければならないと思っています。だからこそ雇用される側も安心して会社に心を尽くして働けるwin-winの関係が築けるのです。今は人間の使い捨て、取引先を買い叩き、人を人とも思わないような扱いをして、何かあっても責任は負わない。いわゆるブラック企業ばかり・・ダメですよ、そんなことでは。お釈迦様はちゃんと見てますからね。

しかしゲームの世界も同様、子供を食い物にすることを仕事にしている会社ばかりですねー。大人もまんまとやられちゃって何十万とか使っちゃって?・・とか聞くけどそのお金で海外旅行でもしなよ!w その方がずっと有意義じゃないですかね~。人のおカネだからどうでもいいけど・・ニコニコあせる
同じ「ゲーム」を介しても、そこに人の笑顔はなく、そこにあるのは一過性の虚業と踊らされる人としか私には見えません。私も年を取ったのですかね。
永遠なんてありはしないけれど、この目まぐるし過ぎる入れ替わりの激しさが私がITを離れたくなった理由のひとつでもあります。まあ、生活はしなくちゃいけないので楽しいと思う部分のITで食べてるわけですが。。それに、それはそれで自分の持っているスキルで社会貢献できることがありがたいので良しとしていますけどね。
ってだんだん別な話になってきたのでこの辺でやめておくかなw

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以下、山内語録 からかつて私がこの方を好きになった古い言葉を拝借しつつ、改めましてお礼申し上げ、お別れ申し上げます。この潔さ、信念、ブレなさ。大好きでした。ありがとう、さようなら。
三唱 再拝

「わたしは、人間には持って生まれた運・不運があるということだけは固く信じる。やはり運がいいとか、悪いということは絶対あり得ると思うし、ツイている、ツイていないということもあると確信している。しかし、じゃあ、どこでどういうふうにツイていると判断するのか、なにかその物差しがあるのか、あるいは運のいい人と悪い人を見分ける方法があるのかということになると、そんなものはあるわけがないとしか言いようがない。人生は要するに向き不向きと、人知の及ばざる運・不運で決まるのではないか。そういう意味で運を信じているということなんです。」

「人事を尽くして天命を待つというが、人事なんてなかなか尽くせるものではない。そのときは、やるだけやった、あとはどうなっても満足だと思うかもしれないが、しくじったら、そのとたんに、ああしておけばよかった、こうもすればよかったと、次から次に反省が生まれるものです。だから、どんなに人事を尽くしたつもりでも、人間は所詮は天命を待つ心境にはなれない。そういう意味でもわたしは、任天堂の名の由来のごとく、人事を尽くして天命を待つのではなく、単純に「運を天に任せる」という発想を積極的に取りたいと思っています。」

「任天堂の急成長がよく話題にのぼるでしょ。トランプと花札の老舗が、先端技術を使ったゲーム機メーカーに様変わりしたこと自体が、不思議でしようがないことのようにいわれることもある。あるいは、外から見ると、なにか大層な戦略展開をしたように見えるかもしれない。しかし、事実は全く違うんですよ。花札とトランプから離れていった理由は、これら伝統的な遊びの人気が落ちたからなんです。時代が変化したんです。そのため止むを得ず転換を図った。それだけのことでしかない。それ以降、幾多の苦難を経ながら、ともかく生き延びてこられたのは、本当に運がよかったからだ。もっといえば、明確な経営戦略などがあったわけではなく、文字どおり試行錯誤の連続でその失敗の積み重ねの中から、少しずつ体で覚えて勉強し、それを材料として、たまたま幸運に恵まれて、昭和55年からようやく急成長の波に乗った。要するに、任天堂は運がよかっただけなんですよ。」

「世間にはよく成功した人間を尊敬する人がいるけれど、それが僕には不思議でしようがない。たまたま運が良かっただけの人を、どうして尊敬できるんでしょうかね。」
(高橋健ニ著「任天堂商法の秘密―いかにして“子ども心”を掴んだか」祥伝社/1986年)

―世界企業への道はなんだったんですか。
運です。運が良かったんです。それを「この結果は俺の経営がうまかったんだ」とか「俺に力があったんだ」なんて思うと、もう駄目ですね。
―墓穴を掘りますか。
そうです。だから運を認めないといけない。運を実力だと錯覚するということは、これほど愚かなことはないんです。経営者としてね。ところが、人間ですからついつい運の存在を無視して「俺の力だ。俺のやり方が良かったんだ」と言いたいんですわ、人というものはね。それは駄目。
―なるほど、運ですか。
運です。
(「新・電子立国第4巻~ビデオゲーム巨富の攻防」NHK出版/1997年)