3日目。7/30 茨城県常陸大宮市〜福島県田村市 ※8/15改訂 | 台湾留学日記

台湾留学日記

台北にて一年間留学予定です。日々や生活、手続きなど。

朝起きて片付けてたら、車からおじさんが。バイクに乗ってたらしく、片付けながらバイクトークを。んで片付けたらアイスを奢っていただきました。ありがとうございました。

んで出発。途中のコンビニでウィダー買って、早々に朝ごはんを済ませました。
そして6号線をひた走る。

いわきに到着。
道の駅で
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水ラーメンを食べました。
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そしてまた6号線を。途中、いわきの津波に飲まれたエリアとかを通り、立ち入り禁止区域ギリギリ(帰還困難区域の検問)まで行って引き返しました。

緊急時避難準備区域が解除されて久しい広野町までは人々の暮らしの営みを感じる比較的普通の雰囲気でしたが、避難指示解除準備区域、居住制限区域内である楢原から奥は結構異様な雰囲気でした。

道の駅ならは、は臨時の警察署となっていました。確か富岡町月の下交差点近くでガソリンスタンドが開いていたのがほぼ唯一の商店と言える場所でした。

6号線を走っただけで周辺を見て回ったわけではないのですが、基本的にはゴーストタウンのようで、コメリやファミマ、車屋、ガソリンスタンドなどの店は全て閉まったまま棄てられたような雰囲気、家屋はシャッターが降ろされて居た所が多かったように思います。なんにせよ、人が暮らして居るはずの場所に誰も居ない、人の暮らしの営みを感じないというのに強烈な違和感と不気味さを感じました。

行き交う車はトラックや作業員などを送迎するバスなどの作業系ばかり…車に乗ってる人はちょこちょこ、防護服にマスク着用。検問に近付けば近付くほど一般車両が減り、道行く人も居なくなり、たまに見かけるのは除染中の作業員…ロードサイドの店も前述の通りというのにかなり心細くなったのを覚えています。

地震と原発は世間では少しづつ過去のことになりつつあるような雰囲気ですが、終わってないどころか、現在もあの日から変わって居ないのではないかとすら思いました。

そして富岡町、富岡消防署北交差点の検問で止められて、Uターンする旨を告げた後、ここはちょっと線量高くて危ないよ、と言われたので急いでいわきの道の駅に戻ろうとしたら警察の方に止められて、身分証などを提示した後、日本一周してるの?と聞かれ少し話しました。山口県警の若い警官の方達でした。仕事とはいえ、大変な所に派遣されているなと思いました。

気になる方もいるかもしれないので少し解説します。放射線量ですが、いわきから富岡町まで往復で1時間だったし、線量が高いのは富岡、次に楢原で、検問で止められたあとすぐに引き返して20キロ外の広野まで行ったので放射線量は問題ありません。

大丈夫と判断したソースはこのYUHEI SUZUKIさんのブログと、それに詳しい親友に相談した結果です。その後自分でも調べました。


http://yuheisuzuki.wordpress.com/2013/06/03/人のいない町―福島県双葉郡富岡町、旧警戒区域/

以下、引用します。

>>※1
気になる方もいると思うので参考までに放射線関連の情報と補足説明を。放射線低線量被曝に関しては僕自身の専攻である公衆衛生(Public Health)が大いに関わる分野であり、それなりに勉強してきてはいるので、近いうちにまとまった解説記事を書きたいと思う。

>>僕のようにほんの1,2時間訪問・滞在する程度での被曝量は、ほとんど無視して良いレベルだと思う。

引用終わります。

僕が富岡に居たのは実質10分くらいだと思います。すぐに引き返したので。楢原含めても20分も居なかったはず。そのため、大丈夫と判断しました。

ちなみに友人に言ったら心配しすぎだと言われましたw 

しかし軽はずみな行動だったと反省しています。

それで田村市の片曽根山麓自然林キャンプ場に泊まりました。物凄く焦ってたのが風呂入って落ち着いて、ゆっくり考えて上の結論を出せたので風呂は偉大だなと。
疲れきったのでそのまま寝ました。明日は仙台。